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南部大戦

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南部大戦

西方暦840年に「剣の聖刻年代記」最終章「剣の物語」で二度にわたって勃発した、
西方南部全域を巻き込んだ大戦争。

カレビア森林国の王位争奪戦が引き金となって南部全体に飛び火、その際にカグラ・ルート交易で
北方のラムクト山麓寄りの旧王朝諸国に、長年にわたって圧迫・搾取を受けていた南方沿岸諸国の不満が爆発。
これに旧王朝諸国のさらに後ろで西方でのカグラ・ルート交易のうまみの大半をを吸い上げていた北部列強及び、
ジグナー領の戦い以降再建中ながらアハル民族憎しの思いが抑えられないラズマ氏族の超タカ派
の思惑が絡み、旧王朝諸国と南方の新興国間で戦争となった。

操兵も膨大な数が持ち出され、戦術や新機構の運用実験も兼ねてか、よく見られる一般的な
機体のみならず、最新鋭機や実験的な試作機まで、(ダカイト・ラズマ帝国製のものもある)
西方のほぼ全種類の狩猟機従兵機が確認された。

またどういった経緯かは不明だが、「龍亜人族」や「猫人族」といった亜人間も参戦(何処かの勢力に加担していたか、独立勢力だったのかは不明)していたようだ。

五年近くの争乱で南の地はほとんど焦土と化して、最終的な勝者となったのが、大戦前より数十年かけて国力増大させ乗り切ったシャルク法王国(だが単に国名が残っただけで、聖拝ペガーナ大寺院の威光が及ばない首都以外は人心荒廃著しく、手に入れた広大な版図の治安を十年経っても担いきれていない有様)と、いつの間にかファインド南部森林に新しく興り劣勢ながら、ガッシュの帝国を味方に引き入れて大逆転したラウ・マーナのみという以外まだ未発表である。

そして北部列強はカグラ・ルート交易の利権の大半を失い、西方の経済・文化の中心から降りることになる。

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