2009-01-25

最終更新:

satoshi

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2009-01-25 進捗



【まとめ】Shibuya


作品制作の評価


 アジアデジタルアート大賞に応募し、入選できなかったことを残念に思うが、それは相応の評価であったとも思う。そう思うのは、入選できるほどの完成度まで高めることができなかったことにある。

 今回の制作において、水という媒体を扱ったが、これを制御することが思っていた以上に難しいことがよくわかった。水漏れや、水による作品の腐食、水を制御するための良いツールがなかなか見つからなかったこと、作品に対して物凄い量の水を使うため設置的な問題などなど、問題が山積みであった。それらの問題を、上手く解決できずに、妥協しながら進め、作品の完成度を高めれなかった。もちろん、それを洗練させるための時間も予算もなかったことも原因であると思う。

 水を扱ったメディアアートが少ないのは、水を制御する技術的な敷居が高いためであろう。もし、水という媒体で表現を続けるのであれば、長い目で接し、水を制御する技術も少しづつ深めていくことが大切だと思った。今回の制作は、その第一歩であった。



学んだことについて


 おもいぬまは、ソフトウェアを中心とした作品ではなく、水を制御するなどハードウェアの部分を中心とした作品になった。そのため、電子回路設計や木工工作など、専門でない分野に挑戦でき、多くを学ぶことができた。

 おもいぬまには、LED、ポンプ、モーター、赤外線センサ、焦電センサ、水位センサなど、数々の電子制御を必要とした。そのために、電流・電圧計算や、トランジスタなどの半導体の使い方など、基礎的な部分を、Webや書籍から一から学んだ。また、おもいぬまの基本となる枠組みは木で設計されており、木材の選び方や釘などの道具の使い方、耐久的な設計の仕方などを経験的に学ぶことができた。

 僕自身、今まで、ソフトウェア部分の設計にしか取り組んだことがなかった。今回のおもいぬまの制作にあたり、電子回路、木工工作の技術を学ぶことができ、表現の枠を広げることができたと思う。



メディアアートとしての「おもいぬま」


 コンセプトが革新的であり、それを適切な表現で表すこと、それがアートであると考える。おもいぬまのコンセプトは、人と人の「つながり」を体現することにある。そのコンセプトがしっかりと固まっていた点は、アートとしての性質を兼ね備えていたものであると考えることができる。

 メディアアートの多くは、技術的な部分に目が捕らわれて、メッセージ性が希薄である。見ている側も、メッセージを読み取ることよりも、その仕組みを楽しむことに念が置かれている。いわば、おもちゃや、手品などのショーの延長としての要素が強いように感じる。
 おもいぬまは、仕組みの面白さよりも、人と人との「つながり」になんらかの啓発を与えることに目的がある。どちらかの一方的な思い
が強くても、つながれない。お互いが思いあっても、じわりじわりと歩み寄る必要がある。お互いがつながったときの喜び。そういった、「つながり」を水や光、センサを使った装置を使って体現した。残念ながら、賞の受賞や作品の展覧を行えず、コンセプトを適切な表現で表すことができたかはわからずじまいであったが。


 メディアアートは、システムの面白さのみに視点が置かれがちで、メッセージを伝える媒体としては、何かもの足りないものを感じる。「つながり」というコンセプトを、アートとして高めていくために、メディアアートして高めていくべきなのかは、今後考えていくべきことでもある。




こんなのでいいのかなぁ。
なんか、意味不明になった感がある。。
ご笑覧くださいーw


以上。






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