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「校則法」(2009/05/04 (月) 13:15:34) の最新版変更点
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*[[GENESIS]]
*[[CITY]]
*[[GENESIS]]
:校則法|[[聖連]]が取り決めた[[教導院]]間の基本法。
>第一条
>-[[教導院>学校]]は平和と発展、そして極東の非支配と保護のための組織として、
> 各地における最高権力を有するものとする。
>
>第四条
>-[[教導院>学校]]の代表は、警備行為を主とする「[[総長]]」と、
> 政務行為を主とする「[[生徒会長]]」の二役とし、
> その下に「[[総長連合]]」「[[生徒会]]」を置くものとする。
>
>第七条
>-[[総長連合]]、[[生徒会]]の代表者が不在、不明で機能しない場合、[[生徒会]]は臨時生徒総会を開き、その決定を[[教導院>学校]]の意思決定とすることができる。
>
>第九条
>-[[教導院>学校]]内、また[[教導院>学校]]間の問題解決において、学生と相対できるのは学生だけである。
>
>第十二条
>-[[総長連合]]、[[生徒会]]の役員は抗争の際に他教導院の近似役から相対を求められた場合、適格者はそれに応える義務がある。
>
#right(){[[境界線上のホライゾン>GENESIS]]I<上>P.20,<下>P.14}
:卒業|[[極東>日本]]以外の国は無制限。[[極東>日本]]は十八歳卒業制。
*[[CITY]]
>1950
>朝鮮戦争開始。
>派生した安保問題を巡り、活発化した学生運動、
>暴力の低年齢化が国際学生指導委員会議(後のUSCC)で問題となる。
>1962
>武力的行為一切を取り仕切り、学生を正しく先導する役職が設定
>(「国際学生間通特殊上級職設定校則法」による)。
>「The Lead of Numbers」…日本で言われる「番付式司導格認定制度」。番付制度である。
>1963
>第一・第二臨時教育委員会発足。
>[[技能]]の学校導入。
>1965
>司導格徒長認定試験制度、制定。
>第零から第九までの十個の修行場が開かれる。
>1976
>司導格徒長と副長二人の三人制から副長補佐二名・特務隊長二名・広報長を加えた八人制に。
>1969
>安保反対運動などの反省から、番格制度から大学生が完全に排除される。
>合計留年三年目で強制退学(復学・転校付加)の共通校則法も制定。
>1973
>第三・第四臨時教育委員会発足。
>番格と生徒会の役員の兼任が認められる。
#right(){[[奏(騒)楽都市 OSAKA>大阪]]<下>P.474~}