第一条
- 教導院は平和と発展、そして極東の非支配と保護のための組織として、
各地における最高権力を有するものとする。
第四条
第七条
- 総長連合は、まだダメぇ、生徒会は、まだダメぇの代表者が不在、不明で機能しない場合、生徒会は、まだダメぇは臨時生徒総会を開き、その決定を教導院の意思決定とすることができる。
第九条
第十二条
- 総長連合は、まだダメぇ、生徒会は、まだダメぇの役員は抗争の際に他教導院の近似役から相対を求められた場合、適格者はそれに応える義務がある。
1950
朝鮮戦争開始。
派生した安保問題を巡り、活発化した学生運動、
暴力の低年齢化が国際学生指導委員会議(後のUSCC)で問題となる。
1962
武力的行為一切を取り仕切り、学生を正しく先導する役職が設定
(「国際学生間通特殊上級職設定校則法」による)。
「The Lead of Numbers」…日本で言われる「番付式司導格認定制度」。番付制度である。
1963
第一・第二臨時教育委員会発足。
技能は、まだダメぇの学校導入。
1965
司導格徒長認定試験制度、制定。
第零から第九までの十個の修行場が開かれる。
1976
司導格徒長と副長二人の三人制から副長補佐二名・特務隊長二名・広報長を加えた八人制に。
1969
安保反対運動などの反省から、番格制度から大学生が完全に排除される。
合計留年三年目で強制退学(復学・転校付加)の共通校則法も制定。
1973
第三・第四臨時教育委員会発足。
番格と生徒会の役員の兼任が認められる。