必ず織屋君を合格させてみせるわっ大作戦 つむじ曲がり
919 名前:名無しさん@ピンキー[sage] 投稿日:2005/03/24(木) 21:51:06 ID:???
「ふう、何度見直しても厳しい数字だわ」
大学の学食で七瀬が深く溜息をついた。手にしているのは浪馬の模擬試験の結果である。
「判定は志望校の見直しが必要・・・か。困ったものね」
七瀬のキャンパスライフは極めて順調だった。持ち前の生真面目さと向学心を存分に発揮して、
彼女は充実した時を過ごしていた。その癖日々浮かない顔をしているのは、浪馬のことが気が
かりでならないからだ。
浪馬は今、七瀬の部屋から少し離れた町でバイトをしながら浪人生活を送っている。勉強嫌い
だったことが嘘の様に、浪馬は懸命に受験勉強に勤しんではいる。が、長年の不勉強のツケは
重く、なかなか思うような成果が出てこなかった。
「間違いなく織屋君も頑張ってはいるのよ。でもこのままじゃ・・・・」
何かと忙しい中、七瀬は三日と開けず浪馬の元へ通っていた。浪馬の勉強を手伝い、励まし、
食事や洗濯の世話までしていた。通い妻と言っても差し支えなかった。が、それでも四六時中
浪馬をサポートするのは難しい。
「私も毎日勉強を見てあげられないし、ここは織屋君にもっとやる気を出させるしかないわ」
そう呟くと七瀬はカバンから大量の本を取り出した。
『彼をその気にさせる方法』『恋人操縦術』『夫を出世させる妻』『夫の尻の叩き方』
何事もまず理論から。七瀬の性分はあい変らずのようだ。もっとも『彼を恋を貴女の虜に
しよう』『恋人が離れなれなくなるテクニック100』『男の喜ばせ方』などと言う、なん
だかよくわからない本も混じっているのはご愛嬌だった。
「必ず織屋君を合格させてみせるわっ!」
学食のテーブルにずらりと本を並べて、七瀬は一人メラメラと瞳を燃やした。
つづく。
953 名前:Misson1 内助の功で応援しよう[sage] 投稿日:2005/03/28(月) 12:32:19 ID:???
「これでいいわ。後は煮込むだけね。あ、脱水機、そろそろ止まったかしら?」
七瀬はコンロをとろ火に落とすと、洗濯物を窓の外に干し始めた。それが終わると今度は部屋に
散らかった参考書やノートをてきぱきと片付ける。実に見事な手際のよさだ。以前は家事が得意
という程でもなかった七瀬は、大学進学後急速にその腕を上げていた。もちろん浪馬の為である。
「織屋君、早く帰ってこないかな・・・」
粗末な座卓に食器を並べながら七瀬は呟いた。浪馬は生活費のためのバイトの時間だった。
浪馬を迎える準備が済むと七瀬はカバンから一冊の本を取り出し、とあるページを開いた。
「『夫が仕事に集中できる環境を用意してあげましょう』・・・うん、確かにそうね」
(いくら家賃が安いからってこんな粗末な部屋で、不便な一人暮らしじゃ織屋君も大変だわ)
(いわゆる内助の功・・そう、内助の功よ。織屋君が勉強に集中できる環境を作るの)
(私が毎日世話できたら一番なんだけど、今の状況じゃ難しのよね)
(本当はずっと側に居てあげたい。朝も昼も夜も、いつだって織屋君を助けてあげたい)
(でもそんなこと織屋君と一緒の部屋に住むくらいしないと無理な話だわ)
(やっぱり非常識よね・・・同棲なんて・・・・いくらなんでも・・・・)
(今の状態で私ができる精一杯のことって何かしら?)
「七瀬、来てたのか。お、イイ匂いがするぜ。この匂いはカレーだな」
「あ、織屋君、お帰りなさい」
七瀬は本をカバンにしまうと浪馬の元へ駆け寄った。
954 名前:名無しさん@ピンキー[sage] 投稿日:2005/03/28(月) 12:33:59 ID:???
「あー、食った食った。七瀬の飯はいつ食っても旨いよ」
「ふふふ、ありがと」
「さて腹も膨れたし、そろそろ勉強始めるか」
参考書を取り出す浪馬に、七瀬はそれとなく聞いてみることにした。
「ここの暮らしも慣れたかしら?」
「ああ」
「何か困ってる事はない? 不便なこととか」
「困るって?」
「だからそれで勉強に身が入らなかったり、やる気が起きないとか」
「んー、特に無いな。頼津の頃から一人暮らしは慣れてるしさ」
「バイトもしながら受験勉強なんて大変じゃない?」
「生活費自分で稼ぐのも今に始まったことじゃないからさ。特に負担だとは思わねえよ」
「そ、そうなんだ」
浪馬は今の境遇を少しも不満に思っていないらしい。今以上に受験に集中できる環境を作ろうと
する七瀬の目論みはいきなり壁にぶち当たった。
「七瀬こそ大学入ったばかりで忙しいんだろ? あんまり無理しなくていいからな」
「わ、私は別に無理してないわ。あなたこと無理して平気なふりしていないの?」
「週に三回は七瀬が飯作ってくれて、掃除に洗濯までして貰ってる。頼津より快適なくらいだぜ」
そう言って浪馬がニコニコと笑うので、七瀬は言葉に詰まってしまった。
(弱ったわ・・・それじゃ私にできることはもうないってこと?)
(あ、諦めるものですか! 織屋君にもっと勉強に励んで貰わないと困るもの)
(何か他の手を考えなくっちゃ)
内助の功で応援しよう作戦。浪馬が今の生活に満足しきっていたので失敗。
967 名前:Misson2 母の愛でサポートしよう[sage] 投稿日:2005/03/30(水) 22:44:23 ID:???
「織屋君が衣食住に満足してるのなら、精神面をサポートすべきよね」
大学の図書館で一冊の本を広げ、七瀬が難しい顔をしている。
「手っ取り早く試せそうなのはこれね。『男は母性に安らぎを覚える』か・・」
「あの人、母親が恋しいなんてタイプには見えないけれど、実際どうなのかしら?」
「考えてても仕方ないわ。講義も終わったし、今から織屋君の部屋に行って実践よ」
七瀬の次の作戦が始まった。
「よしっ、予定のページまで終わった。ふう、これでやっと寝られるぜ」
「良く頑張ったわね。偉いわ、織屋君」
そう言うと、七瀬は優しく微笑んで浪馬の頭をなでなでした。
「よ、よせよ。何度も言ったろ? それ恥ずかしいんだって」
照れくさそうな顔で浪馬が抗議の声をあげる。
「遠慮しなくていいのに。ほら、いい子いい子」
「お、俺、子供じゃないんだからさ!」
勉強を見てくれる時はいつも厳しい七瀬が、今日に限って恐ろしく優しいので、浪馬は
どうにも落ち着かない。いや、優しいだけではない。七瀬がやけに自分を子供扱いする
のには、相当閉口していると見える。
七瀬の参考にした本の中に『母と子のスキンシップ』『子供を勉強好きにする本』『優し
いお母さんになろう』といった育児書が混じっていたのがマズかった。生真面目過ぎて
応用の利かないタイプの七瀬は、本の内容を浪馬の年齢に合わせて上手く修正できない。
(織屋君、随分面食らってるみたい。私がお母さん役をしても嬉しくないのかしら?)
(で、でもこれからが勝負よ。本にはこれが一番だって書いてあったもの)
「お、織屋君。あのね・・きょ、今日は私があなたを抱っこして寝てあげるわ」
「だ、抱っこ? なんだよそれ」
浪馬がポカーンと口を開けた。
970 名前:Misson2-2[sage] 投稿日:2005/03/31(木) 20:49:51 ID:???
「もう少し首をこっちに回して」
「こ、こうか?」
「そうそう。後はクッションを体の下に敷いて・・・と、織屋君、これでどう?」
普段とは逆に七瀬が浪馬を腕枕する。言うのは簡単だが、きゃしゃな七瀬が浪馬を胸に抱こう
とするのだから、なんとか形になるまでにかなり時間がかかってしまった。
「じゃあ今夜はぐっすり眠って、明日また頑張ってね」
七瀬が浪馬の頭をきゅっと抱きしめ、何度もほお擦りを繰り返す。
(『子供はお母さんに添い寝されるのが大好き』『最も効果的なスキンシップの一つ』)
(無気力な子供が母親の添い寝で立ち直った事例もあるって、本には書いてあったわ)
(精神的に満たされれば、きっと織屋君も今より受験勉強に身がはいるはずよ)
「ひゃあっ?!」
突然七瀬が悲鳴をあげる。浪馬がパジャマの上から乳首に吸い付いてきたのだ。
「ちょ、ちょっと織屋君! なにしてるの?」
「はんなりむねをすひすひふるから、もうふんしひまったよ」
「ち、乳首咥えたまま喋らないでぇぇぇ!」
「あんまり胸をスリスリするから興奮しちまったよ。なあ、七瀬、いいだろ?」
「ええっ? こんな時間から? だ、だめよ。睡眠不足は明日の勉強に影響出ちゃうわ」
「こんなに柔らかいおっぱいを顔に押し付けらたら、もう我慢できないぜ」
「きゃぁぁぁぁぁんっ」
翌朝、大学のキャンパスをフラフラと歩く七瀬の姿があった。教室に向かう途中らしい。
(太陽が黄色い・・・・織屋君ったら何も朝まで頑張ることないじゃない・・・)
(毎晩こんな調子じゃ、とても受験勉強どころじゃないわ。大失敗よ)
母の愛でサポートしよう作戦。七瀬の乳房に母ではなく女を感じる浪馬には危険すぎた。
(また新しい作戦を練り直しね)
(うぅ・・胸ばかり悪戯するから、まだ先っちょが痺れてる。ホント困った人なんだから)
31 名前:Misson3 可愛くおねだりしよう[sage] 投稿日:2005/04/05(火) 01:24:00 ID:???
「こんな格好するのって初めてだわ・・・お、おかしくないかしら?」
黒地に白のラインをあしらった、ちょっとゴシック風のぴらぴらワンピースを身に纏い、
七瀬は鏡に向かって呟いた。自慢のロングヘアも黒いリボンで可愛らしく両サイドに
分けてある。トレードマークのヘアバンドは今日はお役御免らしい。
(私、いつもキツイ言い方で勉強しろ勉強しろって言っちゃうのよね)
(ガミガミ怒られてばかりじゃ、織屋君だって気分良くないはずだわ)
『男のプライドを傷つけるような言い方は良くない』『女の愛嬌に男は弱い』『女の
可愛げで彼を思い通りに操っちゃおう』 あれこれ本を読み比べ、今回七瀬は浪馬に、
勉強に励むよう可愛くおねだりしようと考えた。格好までそれらしくして準備は万全だ。
(問題はこの私自身ね。可愛らしくおねだりする・・うまくできればいいけど)
歯に衣着せぬ物言いと命令口調が身に染み付いている七瀬には、相当頭の痛い話だった。
浪馬の腕にしがみ付いて、歩きにくいと言われれば「拒否権はないわ」。初めて浪馬の
モノを手で愛撫した時も「出しちゃいなさい!」と言ってのけた彼女なのだ。
「織屋君がバイトから帰ってくるまで練習しておいた方がいいわね」
七瀬は一人頷くと、壁にかけてある鏡に向かった。
「織屋君、今日は大事な話があるの。よく聞いてね」(おねだり口調じゃないって)
「あなたにお願いがあるの・・の方がいいかしら? いいえ、もっと大げさに・・」
「今日はあなたにお願いがあるの。き、聞いてくれる?」(棒読みすぎます)
「も、もっと感情をこめないとダメよね、うん」
「織屋くぅん、今日はお願いがあるのぉぉん・・って、これじゃ私がバカみたいよっ!」
「そ、そうだわ。ボディランゲージも大切ね。少しナヨナヨっとしてみたらどうかしら?」
「織屋君、私のお願い聞いてぇ」(ナナちゃん、タコ踊りですか? それは)
鏡を前に七瀬の悪戦苦闘が続く。
39 名前:Misson3-2 可愛くおねだりしよう[sage] 投稿日:2005/04/05(火) 23:50:31 ID:???
どのくらい時間が経ったろう。七瀬はまだ練習を続けていた。額には汗が滲んでいる。
「織屋君♪・・・どうも可愛くないわ。あ、そうだ、本には名前を呼ぶのが効果的だって」
「名前呼ぶなんて始めてよね。ろ、ろうま・・・・君・・・うぅぅ」
七瀬は一人真っ赤になった。浪馬の名を呼ぶのがよほど恥ずかしいらしい。
「は、恥ずかしがってる場合じゃないわ。効果があるなら呼ぶべきなのよ」
(そ、それに私も前から名前を呼んでみたかったの。だ、だって恋人同士って名前を呼び合う
ものじゃない? わたしあの人の恋人なのよ。名前を呼んでもいいわよね?)
七瀬は再び鏡に向き向き合った。
「ろ・・・ろうま・・・くん」(真っ赤)
「浪馬・・・君・・・」(耳まで真っ赤)
「い、いっそ呼び捨てしたらダメかしら? えっと・・ろーま」(首筋まで赤くなってきた)
「ろ、浪馬・・・わ、私の・・ろうみゃ・・あ」(噛んじゃダメだよ、ナナちゃん)
「こんなぎこちない呼び方じゃ織屋・・じゃなくて浪馬が呼ぶなって言うかもしれないわ」
「で、でも浪馬だって私を名前で呼び捨てにするじゃない。だったら私にだって同じ権利が
あるはずよ。そうよ、浪馬に拒否権はないわ。嫌だって言っても絶対呼び捨てするんだから!」
「嫌だなんて言わねえよ」
「えっ?」
七瀬が慌てて振り向くと、そこに浪馬が立っていた。
「七瀬が名前を呼んでくれるなら、俺は大歓迎だぜ。それにしても」
浪馬は七瀬の格好をしげしげと見つめた。
「今日は随分可愛い格好してるんだな。後姿じゃ、最初誰かわかんなかったよ」
「い、い、いつから、そこに・・・」
「んー、ついさっきだ。『名前呼ぶのは初めて』とか七瀬が言ってる時だな」
「じゃ、じゃあ、それからずっと聞いてたの? み、みんな聞いてたのっ?」
「うん、まあ」
「か、帰って来たのなら声くらいかけなさいよっ ばかぁぁぁぁぁぁっ!」
顔から火が出るような羞恥を覚えながら、七瀬は絶叫した。
51 名前:Misson3-3 可愛くおねだりしよう[sage] 投稿日:2005/04/07(木) 22:17:09 ID:???
「部屋に入る時はノックしなさい。それに黙って見てるなんてデリカシーがなさすぎよ」
「自分の部屋なのにノックなんてしねえって・・あ、いや、今後は気をつける」
「ふんだ」
キツイ口調の七瀬だが、本気で怒っているわけではない。その証拠に、彼女は浪馬の膝に横座
りし、その胸にヒシとしがみ付いていた。背中を撫でてくれる浪馬の手が少しでも止まろうものなら
「もっとしろ」とばかりに体を揺すった。要するに、一種の照れ隠しなのだ。
(織屋君は悪くないのに、またキツイ事ばかり言って・・ああ、でも口が勝手に動いちゃう)
「そろそろ機嫌直せよ。な? 立ってその可愛い服もっとよく見せてくれ」
「服は可愛いけど、似合ってないって笑うつもりでしょ?」
「違うって。その服、七瀬によく似合うぜ」
「誉めたってあなたの罪が許されるわけじゃないわ。ちゃんと罰を受けて貰いますからね」
「罰? どんな罰だよ?」
「えっと、まず私が来れない日は、寝る前に携帯にお休みの連絡を入れなさい。それから一
緒に寝た次の日は必ずおはようのキスをすること。それとたまには大学まで会いに来て」
浪馬は一瞬、それのどこが罰なんだよ?という顔をしたが、すぐに笑って了解と答えた。
「まだあるわよ。あなたみたいな人は、もう二度と君付けなんてしてあげないんだから」
「どういう意味だ?」
「呼び捨てで十分よ。わかった? あ・・・あの・・・えっと・・こ、このバカ浪馬っ!」
(よ、呼んじゃった・・・とうとう・・あ、でもバカなんて余計なことまで・・あうぅ・・)
自分の不器用さにつくづく情けなくなった七瀬だが、浪馬の返事は実にシンプルだった。
「わかったよ」
そう言って、浪馬は七瀬のツインテールを面白そうに手で弄び始めた。
「長い髪って色んなことができるんだな。七瀬、今度はポニーテールにしてみてくれよ」
「う、うん。織屋君が・・・じゃなくて浪馬が見たいならそうする」
可愛くおねだりしよう作戦。全然計画通りではないというより、実行すらしていないのに、
何故か七瀬は多大な戦果を得た。お休みコール。おはようのキス。大学に呼びつけ。
そしてずっと夢見ていた、浪馬の名前を呼ぶ権利まで。
でもナナちゃん、何か大切なことを忘れてないかい?
66 名前:Intermission 作戦準備中[sage] 投稿日:2005/04/09(土) 00:28:50 ID:???
七瀬は、学食でクラスで仲良くなった少女達とランチの真っ最中だった。
(まったく私ったら何やってるのかしら・・)
(あれだけ要求を突きつけておいて、肝心の勉強のことをすっかり忘れてたわ)
(それにしても、元々の計画じゃ可愛らしくおねだりするはずだったのよね)
(罰を受けろなんて酷い押し付けしたのに、浪馬はどうして言う事聞いてくれたの?)
(不思議だわ・・・・あ・・・・)
(もしかして本の通りにしなくてもお願いを聞いてくれるほど、私を愛してるとか?)
(うん、そうよ。きっとそう。浪馬は私をすっごく愛してるの! うふふふふ・・でも)
(そんなに私を愛してるなら、どうしてもっと勉強して私を安心させてくれないわけ?)
黙々と食事を取りながら一人赤くなったり青くなったりする七瀬の様子にたまりかねて、
クラスメイトの一人が話し掛けてきた。
「高遠さん、さっきから何考え込んでるの? 信号みたいにくるくる顔色変えちゃってさ」
「えっ? ううん、なんでもないわ」
「ならいいけど。あ、ところで最近高遠さんちょっと雰囲気変わったよね」
「そ、そう?」
「こう言っちゃなんだけど、前はいつも難しい顔してたよ。今はそうでもないけど」
「そうかしら?」
「表情が柔らかくなったとうか、豊かになったというか」
「自分ではわからないわ」
「あははは、そりゃそうだよね。でも今のほうがずっといいと思うな」
「あ、ありがとう」
(表情が柔らかくなった? 特に良いことがあったわけでもないんだけど・・・)
(むしろ浪馬の部屋に行く回数が増えたお陰で、忙しくて目が回りそうなくらいよ)
(1日が50時間くらいあればいいのに・・・・・)
(時間・・・時間・・・・そうね、次は『勉強時間』を増やす方向で・・・・・)
再び考え込み始めた七瀬に、クラスメイトが苦笑した。
93 名前:Misson4 勉強時間を増やそう[sage] 投稿日:2005/04/12(火) 05:43:56 ID:???
七瀬は浪馬の部屋でその帰りを待ちながら、ずっと電卓と睨めっこをしていた。
(勉強時間を一番圧迫してるのはバイトよ。そのバイト時間を削る方法が一つだけある)
(生活費の大半は家賃と食費なんだから、それが節約できればいいのよ)
(浪馬を私の部屋に置いてあげれば、家賃の問題は解決するわ)
(それに食費。食事を一人分作るのも二人分作るのも費用は大して変わらない)
(最悪浪馬の収入がゼロ近くになっても) 白い指が素早く電卓を叩く。
(大丈夫。私が少しバイトをすれば、二人でやっていけるわ)
「問題は・・・」七瀬は首をかしげてちょっと難しい顔をした。
(同棲という行為自体ね。結婚もしてないのに同じ部屋に住むなんて不健全だもの)
真面目人間の七瀬の理性は、同棲にかなり抵抗を感じてしまう。
(でも浪馬は両親から援助を受けていないらしいのよ)
(おまけに頼津と違ってビックボディのおじさんはいない。仲の良かった幼馴染の三人も)
(浪馬を支えてあげられる人間は、もう私しかいない。世界でただ一人、私だけなのよ)
指が勝手に動いて、そわそわと髪の毛をいじり始めた。
(えっと、つ、つまりこれは一種の緊急事態なのよね。人命救助と言ってもいいわ)
(あの若さで自活しなくちゃいけない可哀相な人を助けてあげるの)
(同棲は確かに誉められたことではないけれど、緊急事態なら許されるんじゃないかしら?)
(救急車だって、緊急時には赤信号でも止まらないじゃない。それと同じよ)
(べ、別に毎日浪馬の顔を見たいからとか、腕枕で眠りたいとか、そんなんじゃないのよ)
(人助けよ、人助け。人助けして何が悪いのよ。そうよ、誰にも文句言わせないわっ!)
拳を握り締めて七瀬は何度も頷く。強烈な浪馬への想いが、あっさりと理性をねじ伏せた。
「さ、さ、さ、さっそく今夜浪馬に話をしなくっちゃ」
七瀬は頬をほんのりと染めて呟いた。
94 名前:Misson4-2 勉強時間を増やそう[sage] 投稿日:2005/04/12(火) 05:46:30 ID:???
「そんなことできないぜ」
「ど、どうして?」
「今でも七瀬に散々世話して貰ってるのに、これ以上迷惑かけられない」
「迷惑だなんて、私は思ってないわ」
「俺の部屋に通うのだって結構時間喰うだろ? 七瀬だって大学忙しいのにさ」
「だから私はそんなこと全然平気だから」
七瀬は困ってしまった。さり気なく「一緒に暮らせばもっと勉強する時間が増える」
と話を持ちかけたものの、浪馬は全く話に乗ってこない。
「七瀬の言うとおり、バイトを減らせばもっと勉強できるとは思う。けどさ」
「私のことなら心配しなくていいわ。あなたの力になれるなら、むしろ嬉しいもの」
しかし浪馬は黙って首を振った。
「浪馬、ひょっとして私なんかと一緒に暮らすのは嫌なの?」
「そうじゃないよ」
「じゃあどうして?」
「七瀬、俺にだって意地とプライドがある」
「意地? プライド・・・?」
「七瀬に甘えてばかりじゃ、自分で自分が情けなくなるからな」
「浪馬・・・」
「心配すんなって。バイトしながらでもちゃんと合格してみせるから」
「で、でも・・」
「俺としては来年合格したら一緒に暮らしたいな。まあ、七瀬が良ければだけど」
そう言って笑う浪馬に、七瀬もそれ以上無理強いはできなかった。
勉強時間を増やそう作戦。浪馬の漢としての意地と衝突して失敗。
そして机に向かって懸命に勉強する浪馬の背中を見つめながら、七瀬はある決意をした。
(もう残されたのはあの手だけね・・・正直言って気が乗らないんだけど仕方ないわ)
(なんとしても浪馬に勉強のペースを上げて貰わないと。私たちの未来のために)
(・・・・・・たぶんこれが最後の作戦になるわ)
102 名前:Last Misson[sage] 投稿日:2005/04/15(金) 03:06:30 ID:???
「そんなにレポートが? 七瀬も大変だな」
「え、ええ。だからしばらくここには来れそうもないの」
「そりゃそうだ。で、どのくらいかかりそうなんだ?」
「一週間か、二週間か・・・私にも分からないわ。ごめんなさい」
「別に謝らなくてもいいだろ?」
「それと携帯・・・携帯もなかなか出れないかもしれないわ」
「相当忙しいんだな。わかった。頑張れよ、七瀬」
「あなたこそ私が居ない間もしっかりね。じゃあ今日はもう帰るから」
「え? 泊まっていかないのか?」
「ご、ごめんなさい。帰って準備を始めないといけないの」
自分の部屋に戻った七瀬は、明日の講義の予習を済ませるとベッドに潜り込んだ。
(最近ずっと浪馬の部屋に泊まっていたから、このベッドで休むのも久しぶりだわ)
(布団がやけに冷たく感じる・・・そうね、隣に浪馬がいないんだもの当たり前よね)
(浪馬、別れる時寂しそうな顔をしてた。せめて今夜は一緒に過ごしても良かったかしら?)
(ううん、これでいいのよ。作戦はもう始まっているんだから)
七瀬は目を瞑り、今回の作戦の元となった本の内容を思い浮かべた。
『甘やかし過ぎるのも夫によくありません』『世話も程ほどに。夫がハングリー精神を失う
事があります』『たまには冷たくして彼に「頑張らなくては捨てられるかも」と思わせよう』
七瀬最後の作戦。それはこれまでとは正反対のもの。一時的に浪馬との距離を置くことだった。
浪馬の元へ通えないほどのレポートなど実際は出ていない。
(どのくらいで効果が出るのかまったくわからないけど、まずは一週間様子を見てみよう)
(浪馬、きっと不自由な思いするわよね)
(ごはんちゃんと食べるのよ。コンビ二弁当やカップ麺ばかり食べないでね)
(風邪をひいかないようにするのよ。勉強しながらうたた寝しちゃダメよ)
浪馬が心配でたまらぬ七瀬は、寝付かれぬ夜を過ごした。
103 名前:Last Misson-2[sage] 投稿日:2005/04/15(金) 03:18:46 ID:???
作戦三日目 昼
学食のテーブルで七瀬は携帯の画面をずっと見つめたままだった。
(浪馬から全然連絡がないけれど、私が忙しいと思って遠慮してるのかしら)
(確かに携帯もなかなか出れないって言ったわ。で、でもメールくらいくれてもいいのに)
「高遠さん、もう行こうよ。次の講義始まるよ?」
「え? あ・・・・」
「今日はずっとぼんやりしてるよね。何かあったの?」
一緒に昼食をとっていた友達が心配そうな顔をする。
「な、なんでもないのよ。さ、行きましょう」
食器を手に七瀬は立ち上がった。
夕刻
帰宅する途中、七瀬は夕食の材料を求めてスーパーに立ち寄っていた。
しっかり者の彼女は、買い物でも遺憾なくその才能を発揮して、特売品やサービス品
を見つけてはカゴに放り込んでゆく。
(今日はいい買い物ができたわ。最小の出費で最大の効果・・・うん、我ながら見事よ)
食料品を満載したカゴを手にレジの列に並んだ七瀬は満足そうな笑顔を浮かべた。
と、その顔がふいに曇った。
(私ったら何やってるのよ。今は浪馬にご飯作る必要ないのよ? 忘れたの?)
(こんなに沢山買っても、私一人じゃ食べきれないじゃない)
七瀬は列から離れ、せっかくカゴに入れた商品を元の棚へ返しに戻った。
(私・・・バッカみたい・・・)
深夜
「ふう・・・・」 枕に顔を埋めたまま七瀬が溜息をついた。
「どうして眠れないの? 眠いはずなのに・・・」
あの夜以降、七瀬はベッドに入るたびに悪戦苦闘していた。神経質で元々そう寝つきのいい
タイプではなかったが、ここまで酷いケースは初めてだった。
「もうっ!」 苛立った声と共にと寝返りをうつと、七瀬は天井を睨みつけた。
作戦開始からまだ三日。しかし七瀬の心身はかすかな危険信号を発し始めていた。
111 名前:Last Missonn-3[sage] 投稿日:2005/04/15(金) 22:26:38 ID:???
作戦五日目 休日 午後
噴水の縁に腰かけ、七瀬は寝不足ではれぼったい目を空に向けた。彼女はアパート近くの
公園まで散歩に来ていた。部屋にいても浪馬のことばかり思い浮かべて気が滅入ってしま
うからだ。浪馬からの連絡は依然途絶えたままだった。
(浪馬の布団を干すには絶好の日和ね。洗濯物たまってないかしら・・・・)
(今日は家にいるはずよね。今ごろ何してるだろう。ちゃんと勉強してる?)
(ま、まさか他の女を部屋に連れ込んだりしてないわよね?)
気晴らしの散歩に出ても、結局七瀬の思考は浪馬から離れられない。
空から目を戻すと、仲良く腕を組んで歩くカップルの姿が映った。楽しげに笑いあう二人
の姿に、訳もなく七瀬は不愉快になった。
(・・・ただ歩いてるだけで何が楽しいのよ? バカじゃないの?)
プイと横を向いた七瀬の視界にまた別のカップルが映った。彼女は慌ててまた目を背けた。
(こ、こっちもいるじゃない。なんなのよ? この公園はっ!)
どうやらここはデートスポットらしい。右を向いても左を向いてもカップルで溢れている。
寝不足でぼんやりしていた七瀬は、今まで気づかなかったのだ。
(冗談じゃないわ!) 七瀬は慌ててその場から逃げ出した。
(昼間から人前でよくイチャイチャできるものね。恥ってものを知らないのかしら?)
公園を出てアパートへの道を歩きながら、七瀬は一人憤慨していた。
(目の前でベタベタされるこっちの身にもなって欲しいわ。ホント見苦しいんだから)
頼津学園時代、学園史上最強の迷惑バカップルと呼ばれたのは誰だったろうか。
「あ・・」 今度は街路樹にいる二羽のスズメが目にとまった。枝に仲良く並んだ二羽は、
盛んにさえずり合い、互いに羽繕いをしている。彼らが実際どういう関係なのか定かで
はない。が、しかし今の七瀬には恋人同士としか見えなかった。また無性に腹が立った。
(浪馬に会えない私にあてつけるつもりなの? スズメまで私をバカにして!)
知らず知らず二羽を睨みつけてしまった七瀬は、すぐに激しくかぶりを振った。
(違う。スズメがそんなことするわけない。鳥に腹を立てるなんてどうかしてる)
(こ、壊れてる? 私の心の中で何かが壊れてる?)
127 名前:last Misson3 そして作戦一週間後[sage] 投稿日:2005/04/18(月) 12:54:16 ID:???
「高遠さん、顔が真っ青だよ。大丈夫?」
「ご飯も全然食べてないじゃない。ねえ、午後から家に戻って休んだら?」
ランチを共にした友人達が七瀬の様子を心配して、しきりに声をかけてくる。七瀬の目は
哀れなまでに落ち込み、化粧で誤魔化してはいるものの、黒々としたクマまでできていた。
この前の休日を境に七瀬はもはや食欲すら失っていた。食事が殆ど喉を通らないのだ。
「へ、平気。この程度で講義は休めないわ」
「一週間位前まですっごく元気だったのにどうしたのよ? 何かあったの?」
「なんでもないのよ・・なんでも。ほら、教室に行きましょう」
弱弱しく微笑む七瀬を見て、友人達は「大丈夫だろうか?」と顔を見合わせた。
『ここは浪馬の部屋? で、でも、何なの? 妙にガランとして・・・』
七瀬はいつの間にか浪馬の部屋にいた。見慣れたはずの浪馬の部屋。しかし様子がおかしい。
『に、荷物がない・・・・何もない・・どいうことなの?・・あ・・・』
七瀬は足元に封筒が落ちているのを見つけた。
『私宛の封筒ね。浪馬の字だわ。手紙が入ってる・・・なんだろう?』
手紙を読み始めた七瀬の顔が見る見る真っ青になってゆく。
やはり俺の頭では七瀬の大学に行くのは無理だとわかった。だから俺はここを出て行く。
親父達のところへ行くつもりだ。もう二度と会えないと思うけど、七瀬のことは忘れない。
今まで俺みたいな男の面倒を見てくれて本当にありがとう。さようなら。 浪馬
『う、う、嘘・・・・ろ、浪馬・・・・う、嘘でしょ? 嘘・・・・嘘よ・・・』
『浪馬・・・あぁ・・・・・浪馬・・・・・・いや・・・・いやぁ・・・』
『いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』
「高遠さんっ! どうしたの高遠さんっ!」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
隣に座っていた友人に体を揺さぶられて、七瀬は荒い息をつきながらあたりを見回した。
教壇の教授も、周囲の学生もみな驚いた様子でこちらを見ていた。
「ゆ、夢・・?」 疲労困憊の七瀬は、大教室での講義中にうたた寝してしまったらしい。
128 名前:last Misson3-2[sage] 投稿日:2005/04/18(月) 12:56:11 ID:???
「びっくりした。ウトウトしてるなと思ったらいきなり悲鳴をあげるんだもの」
七瀬は友人の言葉に返事もせず、携帯を取り出すと浪馬の番号を呼び出した。
(まさか正夢なんてことは・・早く出て、早くっ!!・・ 嘘、圏外? 電源が入ってない?)
「高遠さん、講義中に携帯なんてマズイよ。教授がこっち睨んでるよ」
「わ、私、行かなくっちゃ」
「え? ど、どこへ? ちょ、ちょっと、教科書おきっぱなしでどこ行くのよ!」
しかし七瀬にはもう何も聞こえない。彼女はよろよろとした足取りで教室の入り口へ向かった。
「待ってて・・・今行くから・・・・すぐ行くから・・・・浪馬・・」
か細い呟きが七瀬の唇から漏れた。
七瀬が浪馬の部屋についたのはもう夕方だった。彼女は倒れこむような勢いで部屋に入ると
愛しい男の名を呼んだ。
「浪馬っ、浪馬っ、私よ。返事して浪馬っ!」
「うーん」机の影から声が聞こえた。慌てて覗くと、浪馬は机の向こうで大の字になって寝ていた。
参考書も出しっぱなしだ。どうやら勉強に疲れて仮眠中の様だ。
「い、居た。居てくれた・・・・」
七瀬は安堵の溜息と共にヘナヘナと座り込んだ。
七瀬は浪馬の横に移動すると、その髪を愛しそうに撫でつけ、寝顔に優しく語りかけた。
「携帯のバッテリーが切れてたわ。また充電を忘れたのね? このうっかり屋さん」
「変な夢を見たの。連絡取ろうにも携帯は繋がらないし。私すごく心配したのよ?」
「お陰で講義サボっちゃったわ。あなたのせいなんだから」
「気持ち良さそうに寝ちゃって。この一週間、私がどんな辛い思いをしたかわかってる?」
「こんな、こんな苦しい思いはもうコリゴリよ・・・」
「身にしみてわかったわ。私は・・あなたなしでは・・生きていけない女なの・・よ・・」
「浪馬・・・私は・・・私・・は・・・・・わ・・・た・・・・・し・・・」
そこまでが限界だった。極度の緊張が解けた反動で、積もりに積もった睡眠不足と疲労が
一気に押し寄せてきた。グラリと頭が揺れたかと思うと、七瀬は浪馬の体に倒れ伏した。
「・・・ん?」
体にかかる重みに、浪馬が目を覚ました。
129 名前:last misson3-3[sage] 投稿日:2005/04/18(月) 12:58:59 ID:???
「顔色は良くなったぜ。でも随分痩せちまったな。一体どんなレポートだったんだ?」
七瀬は聞こえない振りをして、浪馬が作ってくれたパン粥を黙々と食べ続けた。
彼女はあの後浪馬の手で布団に運ばれ、昼過ぎまで眠り続けた。その間浪馬はずっと抱き
しめていてくれたらしい。側を離れると酷くうなされるみたいだったからと浪馬は言った。
「今日はゆっくりするんだな。無理してまた何かあったら心配だ」
「私がそんなに心配なら、どうして一回も電話くれなかったのよ?」
「忙しいって言ったのは七瀬だろ? 俺だって掛けたいのを我慢してたんだぜ」
「おはようコールまで止めた罰として今日は私に優しくなさい。ほら浪馬、おかわり」
「りょーかい」
浪馬の顔を見たとたん、七瀬の食欲はあっさりと回復した。得意のキツイ物言いも、いつも
の調子が戻ってきている証拠だ。七瀬自身もそのことはよくわかっていた。
(普段面倒を見てるつもりでも、結局私の方こそ浪馬に甘えてるのね)
「待たせたな」パン粥をなみなみと注いだ皿を手に、浪馬が台所から戻ってきた。
「しかし七瀬は偉いよ。倒れるまでレポート頑張ったんだからさ」
「べ、別に、そんな大したことはないわ。それよりあなたはどうなの? 勉強進んだの?」
「ははは、それがあんまり」
「何やってるのよ? ダメじゃない、そんなことじゃ!」
「面目ない」
「どうしてなの? まさかどこかで遊んでたの?」
「そうじゃねえよ。たぶん七瀬と会えなかったから・・・かな?」
「えっ?」
「俺、七瀬の顔を見ないと力が抜けちまうんだよ。情けない話でスマン」
申し訳なさそうに頭を掻く浪馬を見て、七瀬は激しい動悸を覚えた。胸が熱くなった。
(私だけじゃない。勉強が手につかなくなるほど、あなたも私のことを想っててくれたのね)
(ごめんなさい。あなたを突き放そうなんて考えた、私がバカだったわ)
最終作戦失敗。二人の固い絆が逆に仇となり、むしろ逆効果だった。
七瀬は持ち札を全て失い、浪馬への想いだけが残った。そして・・・・・
144 名前:七瀬の想い[sage] 投稿日:2005/04/20(水) 00:03:14 ID:???
夕日が差し込む浪馬の部屋で七瀬は机に頬杖をつき、考えに耽っていた。今日も浪馬はバイト
に出かけている。既に七瀬の体は完全に回復して、表向きはいつもの日常が戻っていた。
(早く帰ってきて・・・早く顔を見せて・・・浪馬・・・)
しかし七瀬の心は不安定なままだった。最後の作戦で浪馬と離れていられない自分を自覚した
とたん、彼女は毎日浪馬の顔を見ないと気がすまなくなっていた。以前の様に、何日おきかの
訪問では我慢ができなくなっていた。
『最近高遠さん変わったね。表情が柔らかくなったというか、豊かになったというか』
友達の言葉が思い出される。あの時はそう言われて不思議に思った。しかし
(今ならわかるわ。色んな作戦で毎日浪馬に会ってたからよ。だから私は満たされていた)
(そう、私はあの人なしでは居られない。でもこのままでは・・・)
浪馬との強い絆を確認しても、問題が解決したわけではない。むしろそれゆえに七瀬は苦悩し
ていた。浪馬の受験環境は改善されていない。そして七瀬にはもう作戦の手持ちがない。
(浪馬が受験に失敗したらまた一年こんな生活が続くの? ほとんど夜しか会えない生活が)
(もし・・もしよ? 浪馬が受験を諦めるなんてことがあったら? あ、あの悪夢の様に・・)
七瀬は首を激しくかぶりを振った。想像するだけで体が震えた。
「も、もう! お酒でも飲まないとやってられない気分よっ!」
七瀬はバンっと机を叩いて立ち上がると、本棚の後ろをゴソゴソとあさった。浪馬がそこに酒
を隠しているのを、彼女はちゃんと知っていた。
「今日の仕事はキツかったな。さて飯喰ってから勉強だ・・あ、七瀬来てくれてるかな?」
夜帰宅した浪馬がアパートのドアを開けたとたん、物凄い罵声が飛んできた。
「浪馬っ! このバカッ! また勉強サボってどこ行ってたのっ!?」
「な、七瀬? なんだよいきなり。あ、おまえその酒・・全部飲んじまったのか?」
七瀬の右手に浪馬秘蔵のブランデー瓶・・・・見事に空になっていた。
「こんなもの勉強の邪魔だから私が処分してあげたのよ。ありがたく思いなさい!」
完全に大トラ状態の七瀬がふんっと鼻を鳴らした。
145 名前:七瀬の想い2[sage] 投稿日:2005/04/20(水) 00:05:04 ID:???
「ほら、早く勉強始めるの。今の調子じゃ絶対合格なんて無理なんだから!」
「するよ。するからその前に飯食わせてくれよ。胃が空っぽなんだって」
「空っぽなのはあなたの頭じゃない。そっちを満たす方が先よっ!」
「む、無茶言うなよ」
「ただでさえ時間がないのに遊んでた罰よ。今夜はご飯抜きで勉強しなさいっ!」
「だから遊んでねえって。バイトだよ。七瀬もわかってるだろ?」
「バイト? どうしてあなたがバイトするの?」
「えっ? そりゃ生活費のためだよ。当たり前だろ?」
「生活費? 何言ってるの。私の部屋に住んでるから家賃も要らないじゃない」
「な、なんだって? 七瀬、お前・・・大丈夫か?」
酔っ払い七瀬は完全に錯乱していた。あるいは秘められた願望を現実と思い込んでいるのか。
「大丈夫じゃないわっ! もう作戦も思いつかないし、一体どうすればいいのよっ!?」
「作戦・・・作戦ってなんだよ?」
「あなたにもっと勉強頑張ってもらう作戦に決まってるでしょ!」
「七瀬、おまえそんなことしてたのか・・」
「ホントに大変だったんだから。ママになったり、恥ずかしいの我慢して可愛い服買ったり」
「ああ、あれか・・・一緒に暮らそうなんて話もあったな。ひょっとしてあれも?」
そうよ!と、七瀬が鬼の様な顔で机を叩いた。が、すぐにガクリとうなだれた。
「でもあなたは嫌だって言うし。他の作戦もうまくいかないし。私もうどうしたらいいのか・・」
「随分心配かけちまってるみたいだな」
「当たり前じゃない。今のペースじゃとても・・・ねえ、あなた自分でもわからない?」
「まあ、確かにこの前の模試もイマイチだったな」
「イマイチどころか絶望的な数値よ。全然努力が足りないのよっ!」
「努力はしてるさ。できる限りのことをやってるつもりだ」
「でも結果が出てない。結果が出なければ努力してないのと同じよっ! あなたは・・あなたは
いつもそうなんだから! それで私がどんなに辛い思いをしてるかわかってるのっ!?」
叫ぶなり七瀬は浪馬を飛びついた。不意を突かれた浪馬は見事に床に組み伏せられた。
「お、落ち着けって! 俺の努力不足で他にも、何か七瀬に迷惑掛けたことあったか?」
146 名前:七瀬の想い3[sage] 投稿日:2005/04/20(水) 00:12:26 ID:???
「あんなに家が近いのに、学園で出会うまで15年も 私を一人ぽっちにしてたくせにっ!」
「お、おい、七瀬。そ、それは努力の話じゃ―――――」
さすがの浪馬も抗議の声をあげようとした。が、彼はその言葉を途中で飲み込んだ。
浪馬を睨みつける七瀬の瞳は、いつしか涙でいっぱいになっていた。
「やっと、やっと出会ったのに、三年になるまでデートにも誘ってくれなかったじゃないのっ!」
「う・・まあ・・言われてみれば、それは俺の努力不足・・かな?」
滅茶苦茶な言いがかりに、困り果てた顔で答える浪馬の顔にポタポタと七瀬の涙が落ちた。
「あなたと結ばれて、私はとても幸せだった。あの頃はいつだって会えた。休み時間でも、お
昼でも、放課後でも。あなたはいつも笑顔で私を迎えてくれた。私の側にいてくれた。
なのに、それなのにっ・・・うっうっ・・・うっ」
そしてついに切ない嗚咽が七瀬の口から漏れ出した。
「わ、わたし、わ、わたしの幸せは・・半年も持たなかった。今あ、あなたは・・・いない・・」
「校舎にも、学食にもいない・・いないのよ・・大学のどこを探したって・・いない・・」
「こうやって会いに来るのが・・せいぜいで・・それすらもできない日がある・・うっうっ」
「さ、寂しい・・わ、わたし・・あっうっ・・さ、寂しい・・さみ・・さみ・・さみ・・しい・・」
「が、学園に・・入った頃から・・ど、努力して勉強していてくれたら・・・うっうっ・・」
「い、いっしょ・・いっしょに・・大学へ行けた・・かも・・・知れない・・のに・・・・・」
激しくしゃくりあげる七瀬は、まともに喋ることすらできない。
浪馬は黙ったまま手を伸ばし、そっと七瀬の頬を撫でた。
「もし・・今年合格できなかったら・・来年・・うあ・・来年もこの状態が・・続い・・たら・・」
「わ、たし・・も、もう・・た、た、耐えられない・・・気が・・狂っちゃう・・・わ」
「だ、だから・・あぁ・・お、お、お願い・・・・も、もっと・・もっと頑張って・・・・」
「ろ、ろ・・うまぁ・・お願い・・お・・願いだから・・・うっうっ・・」
七瀬は浪馬の上に崩れ落ち、首に縋りつくと子供の様に泣きじゃくった。
「お、おね、がい・・・わ、わ・・うっ・・わ、わたしを・・一人・・ひとりに・・しないで」
「ひと・・りに・・しな・・いで・・ろうま・・・おね、おねがい・・・おねがい・・・・」
浪馬は七瀬の体をただ抱きしめ続けた。
147 名前:七瀬の想い4[sage] 投稿日:2005/04/20(水) 00:44:14 ID:???
あれからどのくらい時間がたったろうか。泣き疲れて眠ってしまった七瀬を抱いたまま、
浪馬は天井をじっと凝視していた。その瞳には、七瀬もそしてたぶん浪馬の両親も見た
ことのない、強い決意の光が宿っていた。
「・・・・・まったく好き放題言ってくれたもんだぜ。この酔っ払い姫は」
浪馬の口から苦笑交じりの独り言が漏れた。
「出会う前の事まで説教するんだもんな。15年も放っておいたって?・・・参ったぜ」
「つまりどうしてもっと努力して子供の頃に出会って、恋人になってくれなかったのか?
って事か? さっぱり意味わかんえねよ」
「それで結局何が言いたかったんだ? もっと勉強しろ? 大学で俺に会えないのが気に
食わない? 今も寂しくて仕方ない? それとこれもか、一緒に暮らせ?」
「わかったわかった。他ならぬ七瀬の望みだ。全部まとめて適えてやるぜ!」
ヤケクソの様に言い放つと、浪馬は深い溜息を一つついた。
「だから、だからもうあんなに泣くのは勘弁してくれ」
「お前が泣くのを見てるとこっちまで・・・・俺まで泣けてきちまうよ・・・」
そして浪馬は愛しそうに七瀬に何度もほお擦りした。
全ての作戦に失敗し崖っぷちに立たされた七瀬。しかし彼女の想いが、起死回生
の一撃を呼んだ。
手中に収めた大戦果も知らず、七瀬は愛する浪馬に抱かれて昏々と眠っている。
その背中を浪馬の手が優しく撫でていた。いつまでも・・・いつまでも。
Mission Complete
835 名前:つむじ曲がり prologue 夏休み直前の執行部[sage] 投稿日:2005/07/22(金) 01:22:19 ID:???
七瀬「あなたまた私を誘う気なの? 先週も付き合ってあげたじゃない」
浪馬「いけないか? 試験も終わったし明日から夏休みだ。思いっきり遊びに行こうぜ」
七瀬「何が夏休みよ。年中遊び呆けてるくせに」
身も蓋もないツッコミを受けて、浪馬はぐっと言葉に詰まった。もう何度かデートを重ね
たと言うのに、このクールな少女は笑顔一つ見せようとはしない。
七瀬「それで? 今度はどこに私を連れ出そうって言うの?」
浪馬「あ・・・ああ、ハートフルランドなんてどうだ?」
七瀬「随分子供っぽい場所を選ぶのね。夏休みだから混むんじゃない?」
浪馬「そりゃ混むだろうな」
七瀬「私、人ごみや騒がしい場所は苦手だって言ったはずよ」
浪馬「もしかして遊園地もダメなのか?」
七瀬「ダメとは言わないわ。好きな場所でもないけどね」
眉一つ動かさずキツイセリフを吐く七瀬に、浪馬はまた言葉に詰まった。
七瀬「どうしたの? 私の仕事の手を止めておいて急に黙るなんて失礼な人ね」
浪馬「あ・・・いや・・・遊園地はやっぱりイヤか?」
七瀬「そうね、あなたのセンスだったらもっとトンでもない場所を選ぶ可能性もあっ
たわけだし、それを思えばまだマシな方かもね」
浪馬「そういう言い方されると俺も困っちまうぜ、ははは」
力なく笑うと浪馬はため息をついた。どうも今日の七瀬は手に負えないと観念した様だ。
七瀬「何が困るの? ねえ執行部の仕事がまだ残ってるの。早く話を済ませて頂戴」
浪馬「わ、わかったよ。変なとこに誘って悪かったぜ。次はもっと静かなところに誘
うからさ。その・・仕事の邪魔して済まなかったな。じゃあ」
浪馬はクルリと七瀬に背を向け、そのままとぼとぼと執行部から出て行った。
「え?」その浪馬の姿に、小さく驚きの声を上げたのは他ならぬ七瀬だった。
(ちょ、ちょっと、どうして行っちゃうの? 待ち合わせの場所は? 時間は?)
散々つれない態度を取っておきながら、実は七瀬は浪馬の誘いを断るつもりはなかった。
836 名前:名無しさん@ピンキー[sage] 投稿日:2005/07/22(金) 01:51:34 ID:???
(人を誘っておいて途中で突然帰るなんて、いったい何考えてるのかしら?)
舌打ちして自分の席に戻った七瀬は、しかし立ち去る浪馬の寂しげな背中を思い出して、
少し首をかしげた。
(随分しょんぼりしてたわよね。もしかして私が行きたくないと思ったのかしら?)
(好きな場所じゃないけど、ダメじゃないって言ったのに)
(あなたにしてはまだマシな場所を選んだって、わざわざ褒めてもあげたわ)
驚いた事に、彼女にしてみれば浪馬にむしろ気を使ったつもりらしい。美貌も才能も何
もかも備えたこの才媛も、こと人付き合いに関してだけは哀れなほどに不器用だった。
(結局デートはなし・・きっと誘いに来ると思ったから予定を入れてなかったのに)
浪馬が出て行った扉を、七瀬は自分でも気づかぬうちに未練がましく見つめた。
不承不承出かけた浪馬との初デートに自分でも意外なほど満足してしまった七瀬は、
その後誘いを断ったことはない。決して態度には出さないが、デートを重ねる度に、
彼女は浪馬と出かけるのがどんどん楽しくなってきていた。
(そうだわ。もし誤解してるなら、今から追いかけて「行く」って言ってあげれば・・・)
慌てて席を立とうとして、そこで七瀬は初めて執行部員たちの視線に気がついた。
彼らは浪馬と七瀬の悶着の成り行きを、興味津々伺っていたのだった。
彼らの視線に刺激され、とたんに七瀬の心に巣くう、やっかいな虫が目を覚ました。
(・・・・や、やっぱり追いかける必要なんてないわね。だって・・・・)
(こっちから助け舟を出したら、まるで私の方がデートしたいみたいじゃない)
(織屋君が誘うから付き合ってあげるてるだけで、私は別に――――――)
(と、とにかく勝手に誤解した織屋君が悪いわ。そう、織屋君が悪いの!)
浪馬が聞いたら悶絶しそうな屁理屈ををこねると、七瀬は一度浮かした腰を再び椅子に戻した。
(人の話をキチンと聞かない罰として、今度の日曜は一人寂しく過ごしてなさいっ!)
最後にもう一度、心の中で浪馬を罵倒すると、七瀬はダンっ!と書類にハンコを叩き付けた。
何度も煮え湯を飲むような思いをしながら、浪馬はようやく七瀬をデートに連れ出せるようになった。
しかしそれで彼の苦労が終わったわけではない。なぜならば、彼女はとってもつむじ曲りだった。
862 名前:七月のつむじ曲り2[sage] 投稿日:2005/08/01(月) 02:56:10 ID:???
刃たちと別れた七瀬は足取り重く家へと向かった。
(いくらお説教しても平気な顔してる人だったのに)(私、そんなに酷い態度だったかしら?)
(『笑顔を見てみたい』 織屋君は、そんな事も言ってたみたいね)
(で、でもデートの時に笑った記憶はあるのよ、一応・・・)(だってとても楽しいもの)
むろん七瀬も楽しければ笑う。ただ感情をあまり顕にしない質なので、口元を緩める
といった感じである。残念ながらその程度では、彼女の鋭角的な美貌が逆に仇となり、
ツンと澄ましている様に見えてしまう。美人過ぎるのも時として損なものだ。
(やっぱりあの時素直に追いかけて「行く」と言えば良かった)
(母さんにもよく言われるのよね。『つむじ曲がり』を直しなさいって)
(今度織屋君に誘われたら、もっと少し優しく接してあげるべきだわ)
(でも、ひょっとしたら今回の事に懲りて、織屋君はもう私を誘ってくれないかも)
(そうよね、こんなキツイこと言う無愛想な女とデートしても嬉しくないわよね・・・)
ほんの数回ではあったが、楽しかった浪馬とのデートを思い出し、七瀬は溜息をついた。
少々悲観的なところのある彼女は、物事をどんどん悪い方に考えてしまう。だから玄関
のドアを開けたとき、そこに浪馬が立っていたので驚きのあまり言葉を失った。
ママン 「あらナナちゃん、ちょうどいい所に帰ってきてくれたわ♪」
浪馬の相手をしていたらしい七瀬の母が歓声をあげた。
浪馬「よ、よお」
七瀬「・・・・」(な、なに? どうして織屋君がここにいるの? え? え?)
呆然と立ち尽くしていた七瀬だったが、母親が浪馬の腕を取り「さあどうぞどうぞ」と家
に上げようとするのを見て、ハッと我に帰った。
「こっちいらっしゃいっ!」 彼女は浪馬の腕を掴むと、慌てて玄関の外へ連れ出した。
七瀬「わ、私に何か用?」(もしかしてまた私を誘ってくれる・・の?)
浪馬「何か用って、俺が七瀬の所に来る用事は一つしかないだろ。来週の日曜――」
七瀬は息を呑んで浪馬の顔を見つめた。
浪馬「デートしようぜ」
浪馬の誘いの言葉が、こんなに嬉しく感じたのは初めてだった。
863 名前:七月のつむじ曲り3[sage] 投稿日:2005/08/01(月) 02:57:58 ID:???
七瀬「それで場所はどこなの?」
浪馬「美術館はどうだ? あそこなら静かだし、落ち着けると思うぞ」
(いつもの織屋君だわ)(落ち込んでたはずなのに、全然そんな風に見えない)
刃達に愚痴をこぼして少しは気が晴れたのか、持ち前のタフネスぶりを発揮したのか、
七瀬に理由はわからない。だが浪馬がまた自分を誘いに来てくれたことが、ただただ
嬉しかった。だから素直な気持ちが言葉に出せた。
七瀬「美術館なら喜んで行くわ」
浪馬「よし決まり!・・って、おい、今喜んでって言ったか?」
七瀬「ええ、言ったわよ」
浪馬「喜んで来てくれるのか。そう言って貰えるとすごく嬉しいぜ」
デートを重ねること約一ヶ月、初めて七瀬が積極的にデートを承諾してくれた事に浪馬
は少なからず感動したらしい。
浪馬「美術館と言えば近くに七瀬の好きな緑地公園があるよな。あっちも回ろうか?」
七瀬「いいわよ」
浪馬「じゃあ早めに行った方がいいな。9時に美術館前で待ってるよ」
七瀬「わかったわ。楽しみにしてるから遅れないでね、織屋君」
浪馬「楽しみにしてくれるのか? あはは、なんだか夢みたいだぜ」
満面の笑みを浮かべる浪馬にみつめられて、七瀬はふいに恥ずかしくなって横を向いた。
そして見てしまった。玄関のドアの隙間から瞳をキラキラ輝かせて二人を見守る母の姿を。
その瞬間、七瀬のつむじ曲りの虫が雄たけびをあげ、口が勝手に動き出した。
「ええ、楽しみよ」七瀬の綻んでいた口元が引き締まり、眉がキッと攣り上がった。
七瀬「美術館に誘うからには、さぞかしあなたは芸術に詳しいんでしょうね?」
浪馬「へっ? い、いや、そうでもねえけど」
七瀬「あら、謙遜しなくていいのに」
浪馬「いや、その・・・」
七瀬「あなたがどんな素敵な作品解説をしてくれるのか、今からと~っても楽しみだわ」
浪馬は顔を引きつらせ、ため息をついた。ドアの向こうで母もため息をついた。
八月のつむじ曲がりに続く
912 名前:八月のつむじ曲り1[sage] 投稿日:2005/08/15(月) 23:04:02 ID:???
夏休み最後の日、平日と言うのに駅前公園に七瀬と浪馬の姿があった。
「バイトが早く終わってさ。今日は暑いし、アイスでも喰いに行かないか?」
「暇さえあれば私を誘うんだから・・まあ、いいわ、付き合ってあげる」
電話でそんなやりとりがあったのが一時間ほど前。二人はこの時期だけ臨時出店する
アイスクリームショップで落ち合った。どうやら人気の店らしく長い行列ができている。
七瀬「炎天下にこの行列に並べって言うの? これじゃ我慢大会よ」
浪馬「暑さを我慢した後の方が、美味しくアイスクリームが食えるだろ?」
七瀬「あなたって、ホント口の減らない人ね」
もう十回以上デートを重ねたのに、一向に艶っぽくならない応酬がまた始まろうとした
時、突然浪馬を呼ぶ声が聞こえた。
「せんぱーい! 織屋せんぱーい!」
見れば行列の中ほどで、夕璃がこちらに向かってひらひらと手を振っている。
七瀬「し、白井さんっ!?」 珍しく七瀬が狼狽の表情を浮かべた。
浪馬「なんだよ? 急にそわそわして」
七瀬「だ、だってあなたと二人でいるところを見られちゃったのよ」
浪馬「だから?」
七瀬「変に誤解されると困るわ。あなたと私が付き合ってるとか」
浪馬「それなら取り乱すのは止めろよ。逆に勘ぐられちまうぜ?」
七瀬「と、取り乱してなんかいないわよっ!」
浪馬「大声出すなって。夕璃チャンがこっち見てるんだぜ」
七瀬「う・・でもどうしたらいいの?」
浪馬「普通にしてればいいのさ。七瀬得意のツンツン顔の出番だ」
七瀬「誰がツンツン顔ですって? 失礼な事言わないでちょうだい」
浪馬「それそれ、その顔だ。何聞かれてもオタオタしたらダメだぜ」
そう笑うと、浪馬は夕璃の方へ歩き出した。
七瀬「ね、ねえ、こっちから行くの?」
浪馬「当たり前だよ。知らんぷりしたり、コソコソ逃げたらそれこそ疑われる」
913 :八月のつむじ曲り2:2005/08/15(月) 23:08:12 ID:???
夕璃「こんにちは織屋先輩。高遠先輩♪」
七瀬「偶然ね、白井さん」
人当たりのいい夕璃は、学園で煙たがられる事も多い七瀬を全く怖がったりしない。
それ故に、彼女はのっけから七瀬を困らせる質問をぶつけてきた。
夕璃「今日はデートですか? うふふふ」
七瀬「そ、そうじゃないのよ・・えーっと・・・」
浪馬「そこで偶然合ったんだ。いつも迷惑かけてるからお詫びにアイスでもってさ」
しどろもどろの七瀬を見かねて、浪馬がさりげなくフォローを入れる。
七瀬「そ、そういうわけなのよ」
夕璃「そうですか。高遠先輩の服があんまり可愛いから勘違いしちゃいました」
急な誘いでも七瀬は精一杯おめかしをしてきた。女の子の夕璃には一目瞭然だ。
七瀬「ふ、普段着よ、こんなの。私服はいつもこんな感じなの。そうでしょ? 織屋君」
夕璃「いつも? お二人はよく一緒にでかけるんですか?」
七瀬「あ、あの―――」
言いたいことを言う性格は、裏を返せば機転が利かないというコトでもある。
あたふたする七瀬を見て、浪馬がまた助け舟を出した。
浪馬「俺、執行部に睨まれてるだろ? 時々七瀬のお供をしてご機嫌取ってるんだ」
夕璃「えっ? 本当なんですか?」
浪馬「あはは、嘘だよ。入学以来の顔見知りだから、何度か遊びに行った事はあるさ。
それより夕璃チャン、俺が代わりに並ぶから、二人で向こうのベンチで待っててく
れよ。夕璃チャンにもいつも世話になってるから、俺が金だすからさ」
夕璃「わあ、ありがとうございます♪」
七瀬(よく回る舌ね。いくらお説教しても言を左右して逃げられちゃうのもわかるわ)
(この人って、喋る仕事に向いてるかも知れないわね。営業マン、コメディアン)
(あるいは弁護士・・あ、そうだわ結婚詐欺師よ! この人にピッタリ、うふふ)
浪馬の話術の巧みさに、七瀬は半ば呆れ半ば感心してその横顔を見つめた。
浪馬「ほら、七瀬も早く行けよ。あそこは木陰だからきっと涼しいぜ」
七瀬の視線に気づいて浪馬は小さく頷いた。もう大丈夫。安心しろという意味らしい。
918 :八月のつむじ曲り3:2005/08/16(火) 04:01:06 ID:???
夕璃「・・・と、云う事があったんですよ、クスクスっ」
七瀬「ふうん、要するに織屋君は部活中もお調子者なのね」
ベンチに腰掛けた七瀬と夕璃の話は、自然と共通の話題、つまり浪馬の事になった。
夕璃「でも入部して良かったです。織屋先輩、とても素敵な人ですから」
「は? 素敵?」 夕璃が意外なことを云ったので、七瀬は少々面食らった。
夕璃「高遠先輩はそう思わないんですか?」
七瀬「こう言ったらなんだけど、素敵とは程遠いわ。少なくとも私にとっては」
夕璃「先輩って、けっこう人気あるんですけどねえ、女の子に」
「に、人気がある?」 七瀬はますます驚いた。
夕璃「私のクラス、それに吹奏楽部にも先輩と仲良くなりたいって言う人がいますよ」
七瀬「はあ、蓼食う虫もすきずきとはよく言ったものだわ」
夕璃「そのクラスの子がよく言ってます。『先輩とデートしてみたい』って」
七瀬「思い直すようにあなたから言ってあげた方がいいわ」
自分は浪馬と散々デートをしていながら、七瀬は本気でそう言った。
七瀬「でも雨堂君の話はよく聞くけど、織屋君とデートしたいなんて初めて聞いたわ」
夕璃「雨堂先輩も素敵ですよね。でもその子は織屋先輩の方がいいって言います」
七瀬「はあ・・ず、随分変わった子なのね」
夕璃「そうですか? 私も織屋先輩は雨堂先輩に負けないくらい素敵だと思いますけど」
七瀬(こ、この子も変わってるわ)(雨堂君と織屋君じゃ比較にもならないわよ)
(百人の女の子に聞いたら、百人が雨堂君に軍配上げるに決まって・・・あ?)
七瀬は突如自問自答を始めた。
(私はどうだろう?)(私は織屋君を素敵だなんて一度も思った事ないわ)(だけど・・・)
刃は確かにカッコいい男だ。だがもし自分をデートに誘ってきたとしても――
(私、断るわ)(だって雨堂君に興味ないもの)(デートしたいなんて考えた事もない)
(でも織屋君とはデートしてる)(と、言うことは・・・私は・・・・う、嘘・・・)
驚愕とともに七瀬は理解した。他ならぬ自分も奇特な人のお仲間だったのだ。
919 :八月のつむじ曲り4:2005/08/16(火) 04:33:57 ID:???
「やっと買えたぜ。ほらトリプル!」 浪馬がアイス三つを手にニヤリと笑う。
「わあ、すごい♪」 夕璃が歓声を上げた。
浪馬「今月はダブルの値段でトリプルになるんだってさ。どうりで混んでるワケだ」
夕璃「一度やってみたかったんです♪ でも女の子だと頼みにくいんですよね」
浪馬「夢が叶って良かったね。七瀬、お前も取れよ・・・おーい?」
見れば七瀬はなにやら一人考え込んで、浪馬が戻ってきた事にも気づいてない。
七瀬(魅力的とも、カッコいいとも、素敵だとも、私は一度だって思ったことない)
(でも誘われると嬉しい)(話をするととても楽しい)(織屋君って、一体何なの?)
友達を作るのすら苦手な七瀬に、友達以上恋愛未満の微妙な仲など理解の外だった。
「お前のアイス溶けちまうぞ?」 自分のアイスを舐めながら浪馬が何度も声を掛ける
が、七瀬は返事もしない。業を煮やした浪馬は、七瀬の頬にアイスをぺたっと貼り付けた。
七瀬「んきゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ?!」
浪馬「うわっ! 暴れるなって、あっ!」
驚いた七瀬の振り回した手が、見事にアイスを弾き飛ばし地面に叩き落した。
七瀬「ちょ、ちょっといきなり何するのよっ!」
浪馬「だって呼んでも返事しねえからさ。あーあ、お前のアイス落ちちまったぜ」
七瀬「か、考え事してたんだから仕方ないじゃない。もうっ!」
浪馬「そんなに怒るなよ。ほら、俺の分をやるからさ」
七瀬「アイスが落ちたのはあなたの責任なんだから当然よ」
七瀬は浪馬の手からアイスをもぎ取ると、さっさとアイスを食べ始めた。
(まったく子供みたいな悪戯するんだから!)(こんな人なのにどうして私は・・・)
(でも自分のアイスを差し出すなんて、結構優しいところはあるのよね)
(悪い人じゃないわ)(でも織屋君は、どうして私みたいな嫌味な女を誘うの?)
(白井さんみたいな可愛い子が近くに居るのに)(うふふ、本当に変な人)
七瀬は再び考え事に没頭する。こうやって浪馬の事を考えるのは初めてだった。
その機会が持てただけでも、今日誘われた甲斐があったと七瀬は思った。
と、その時夕璃がいきなりトンでもない事を口走った。
920 :八月のつむじ曲り5:2005/08/16(火) 04:54:55 ID:???
夕璃「そう言えば高遠先輩のアイス、織屋先輩と間接キスですね、クスクスっ」
「え――――」七瀬のアイスを食べる手がピタリと止まった。
浪馬「ゆ、夕璃チャン、変な事言わないでくれよ」
夕璃「先輩、高遠先輩に渡す前にアイス舐めてましたよ。だから・・なんですけど」
七瀬(か、間接キス? 私と織屋君が?)(ちょっとふざけないで、そんな)
(わ、わ、私・・私・・織屋君の唾液・・・飲んじゃった・・・の?)
石像の様に固まってしまった七瀬を見て、夕璃が申し訳なさそうに話しかけた。
夕璃「あの・・すいません高遠先輩、変な事言っちゃって」
浪馬「七瀬、それ捨てちまえよ。新しいの買ってきてやるからさ、な?」
七瀬「・・・」(捨てるなんてそこまでは・・・・でも気になるし・・どうしよう)
夕璃「そうだ。私ので良かったら交換しましょうか? 私は気にしませんから」
途端に七瀬の瞳が蒼い光を帯びた。こんな言い方されては、つむじ曲りの虫が
黙ってはいなかった。
七瀬「わ、私だって平気よ。か、か、間接キスくらいで死んだりしないもの」
そう言うなり七瀬はやけくそのようにアイスに挑みかかった。
浪馬「お、おい・・・無理すんなよ、七瀬」
七瀬「無理なんかしてないわっ!」
ピシャリと言い返されて浪馬は黙ったものの、心配でたまらない様子だ。それを見て
いた夕璃は大きな瞳をくるんと動かして、くすくすと笑った。どうやら二人の関係を
なんとなく察したらしい。
浪馬の心配顔も、夕璃の悪戯っぽい笑顔も知らず、七瀬は一心不乱にアイスを舐めた。
(う・・美味しい)(腹が立つのにどうしてこんなに美味しいの?)(なんだか舌が痺れる)
(織屋君の唇が触れたアイスクリーム・・・とても甘い・・・・・・とっても・・・・)
その夜、七瀬は随分と長い日記を書いたようだ。いろんな意味で劇的な一日だった。
ともあれこうして七瀬の夏休みは終わった。 九月のつむじ曲りに続く。
ーーーー
155 :九月のつむじ曲がり1 @浪馬視点:2005/09/27(火) 00:57:09 ID:???
(台風接近か。空がゴロゴロ言ってやがる。早く帰らないとヤバそうだ・・あれ?)
浪馬が校舎玄関で七瀬を見かけたのは、九月も終わろうとするある日の放課後だった。
(おっかない顔で空を睨みつけて、あいつ何やってるんだ?)
浪馬「おい、七瀬、もう今日はあがりか?」
七瀬「あ、織屋君。ええ・・・執行部も今日は早仕舞いだから」
浪馬「台風にゃ勝てねえよな。まあ、気をつけて帰れよ」
七瀬「それであなたは? まだ帰らないの?」
浪馬「部室の鍵を返しに行くところなんだ。それから帰るさ」
七瀬「そ、そうなんだ・・」彼女は何事か考え込みながらチラリと浪馬の顔を見た。
浪馬「ん? 俺に何か用があるのか?」
七瀬「え? う、ううん・・・別に・・・そうじゃないけど・・・」
浪馬「ならいいけどさ。まだ雨も降ってねえし早く帰った方がいいぞ。じゃあな」
浪馬は七瀬に手を振ると足早に職員室へと向かった。用はないと言いながら、明らかに
何か言いたげな七瀬の態度に気づけるほど彼は察しのいい男ではない。それ故に、鍵を
返して職員室から出た途端、そこに七瀬が立っているの見て浪馬はひどく面食らった。
浪馬「おい、七瀬、おまえ、帰ったんじゃなかったのか?」
七瀬「べ、別にいいでしょ。いつ帰ろうと私の勝手じゃないの」
浪馬「そりゃそうだけどさ。ぐずぐずしてると風も強くなってくるぜ?」
七瀬「そ、そうなんだけど・・・・」
浪馬「けど?」
七瀬「・・・そ、その・・・あなたがちゃんと鍵を返すか気になったから・・・」
浪馬「はあ? わざわざそんな事を確認しに来たのか? 暇人だなあ、七瀬も」
七瀬「暇人ですってっ?! 副会長として当然よ。大体あなたは普段の行いが――」
浪馬(し、しまった。七瀬に軽口が通じねえのを忘れてた。また説教が始まっちまう)
不機嫌そうにピクピクと震える七瀬の眉を見て、浪馬は思わず後ずさった。
浪馬「待ってくれ。台風が近づいてるんだ。こ、小言なら明日聞くからさ」
「そ、それじゃあ七瀬。また明日合おうぜ」
浪馬はぎこちない笑顔で手を振ると、そそくさとその場を逃げ出した。
161 :九月のつむじ曲がり2 @浪馬視点:2005/09/27(火) 23:34:56 ID:???
ドロドロ不気味な唸り声をあげる空の下、家へと向かう浪馬は考え事に沈んでいた。
(危なかった)(ホントすぐ怒るんだよなあ)(いい加減あの癖は勘弁して欲しいぜ)
(そう言や、相変わらずデート中に嬉しそうな顔をしねえんだよな)(なんでだろう?)
(やっぱり俺なんて相手にしたくないって事かも)(だけど誘えばOKしてくれる)
「わっかんねえ子だぜ。でももっとわかんねえのは俺か」浪馬はぽつりと呟いた。
(怒りっぽくて)(キツイ事ばかり言って)(俺の顔見りゃお説教)(おまけにデート中は仏
頂面)(俺だってカチンと来たことあるんだぜ)(だけどまた無性に誘いたくなっちまう)
(怒ってなきゃ、あいつと話すのはとても楽しい)(と、言うか、怒ってる顔もあんまり
綺麗だから、ついつい見とれちまう事がある)(まったくどうかしてるぜ、俺は・・・)
(いくら美人だからって、なんであんなツンツンした子に興味持っちまったんだ?)
(ふう・・考えたって答えが出るワケじゃねえか) 浪馬はぶるぶると首を振った。
(さてこのまま帰っても暇なだけだし、どこか寄って行くか。台風はまだ大丈夫だろう)
(そうそう、今日は格闘マガジンの発売日だったぜ。よし蔵の中へ・・わっ?!)
「きゃんっ!」駅前へ向かおうと四つ角で立ち止まった瞬間、可愛らしい悲鳴と共に
浪馬の背中に柔らかいモノがぶつかってきた。
「も、もう! いきなり立ち止まらないで。危ないじゃないのっ!」
ぶつけた鼻を押さえて抗議の声をあげる相手を見て、浪馬は口をあんぐりと開けた。
浪馬「な、七瀬? どうしてお前が此処にいるんだよ?」
職員室前の廊下で別れたはずの七瀬は、いつの間にかすぐ後ろを歩いていたらしい。
七瀬「だ、だって私の家はこっちの方角よ。別に不思議じゃないでしょ」
浪馬「なるほど・・でも人の後ろ歩く時はもう少し距離を取った方がいいぜ?」
七瀬「あ、あなたの後なんて歩いてないわ。あなたが勝手に私の前を歩いてたのよ!」
浪馬(うわ、今日は何時にも増して怒りっぽいな。こりゃさっさと逃げた方が良さそうだ)
「じゃあ俺はこっちだから・・・わっ?! なにすんだよ!?」
七瀬「待ちなさい。方向が違うじゃない。あなたの家は川の方だって聞いてるわ」
くるりと背を向け逃げようとした浪馬は、七瀬に服の裾を掴まれてつんのめった。
172 :九月のつむじ曲がり3 @浪馬視点:2005/09/30(金) 01:34:35 ID:???
浪馬「こ、こら、離せって。本屋に寄りたいんだよ」
七瀬「台風が来てるのに寄り道なんて許さないわ。真っ直ぐ家に帰りなさい!」
浪馬「この程度なら俺は平気だよ。それより七瀬こそ早く帰れよ、じゃあな」
再び浪馬が歩き出そうとすると、七瀬の声が悲鳴に近い響きを帯びた。
七瀬「だ、だめ! 行っちゃだめ! 織屋君、行かないで。お願いっ!」
浪馬「は、はあ? 行かないで? 七瀬、妙な言い方するなよ」
辺りを見回すと道を行く人々が何事かと視線を向けている。去ろうとする浪馬と、背中に
取りすがる七瀬は、別れ話で修羅場のカップルにしか見えない。格好の見世物だった。
浪馬(げっ? これじゃ晒し者だぜ。こうなったら仕方ない・・・うっ――!?)
手を振りほどこうと七瀬の手首を掴んだ浪馬は、ハッと息を呑んだ。
浪馬(七瀬のヤツ、手が汗でびっしょりじゃないか・・それに・・少し震えてる?)
「七瀬・・?」後ろを振り向くと、浪馬が初めて見る必死の形相の七瀬と眼が合った。
浪馬(どうしたんだ? 今にも泣きそうな顔して。何かに怯えてるのか?・・・あ)
やっと浪馬は思い出した。七瀬には苦手なモノが二つある。虫と、そしてもう一つ。
浪馬(ちょっと空が鳴ってるだけなんだけど、これでダメなら相当重症だぞ)
(となると、玄関で突っ立ってたのは、帰るに帰れなくて立ち往生してたのか)
(家まで送って欲しいけど、言い出せなくて後をコソコソ着いてきた?・・でもなあ)
七瀬が自分を頼りにする事などあるのだろうか? 浪馬は少し悩んだが、結局「当た
り」に掛けてみる事にした。もし本当に怯えてるのなら、とても置き去りにはできない。
浪馬(でも怖いのか?ってまともに聞くのもアレだよな。プライド傷つけても可哀想だ)
浪馬「あー、やっぱり帰るよ。七瀬の言うとおりだ。台風なのに寄り道は良くないな」
七瀬「・・・・・・・・・」
浪馬「そうだ、ついでに家まで送らせろよ。俺んち帰るのにお前の家の前通るからさ。
急に風が強くなったりしたら危ないだろ? だからエスコートさせてくれ、な?」
七瀬はやはり黙ったままじっと浪馬の顔を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
浪馬「よし決まりだ。あ、でもさ、歩きにくいから手は離して・・・・ま、まあ、いいか」
歩き出す浪馬の後を七瀬は無言で着いてきた。浪馬の服をしっかりと握り締めたまま。
176 :九月のつむじ曲がり4 @浪馬視点:2005/09/30(金) 22:29:30 ID:???
執行部の天井を見上げたまま、浪馬は深い深いため息をついた。
(他の部員もいねえことだし、もっと楽しい話をしたいぜ・・・)
翌日の昼休み、呼び出した浪馬を机を挟んで座らせると、七瀬は説教を開始した。
「小言なら明日聞く」という浪馬の言葉を、彼女はしっかりと覚えていたのだ。
七瀬「普段から規律正しい生活を・・・ほら、こっち向きなさいよ!」
彼女は身を乗り出すと両手で浪馬の頬を包み、グイと無理やり前を向かせた。
七瀬「いい? 人の話を聞く時はちゃんと相手の目を見なさい。わかった?」
浪馬(昨日は可愛いとこもあると思ったけど、一夜明けたらまたこれだもんな)
「あなたも早く帰るのよ。危ないから寄り道しちゃダメよ。真っ直ぐ帰ってね。約束よ」
玄関のドアが閉まる最後の最後まで、自分の身を案じてくれた切ない瞳の女の子は、
一体どこへ行ってしまったのか。浪馬の落胆は相当なものだった。
浪馬(あの時、少しは七瀬に近づけたと思ったんだ。でも俺の勝手な思い込みか・・)
七瀬「ねえ、あなた、私の話を聞いてる? んもう・・織屋君っっっ!!」
浪馬「うわぁぁっ!」
ぼんやりしていた浪馬は、再び身を乗り出した七瀬に突然耳元で叫ばれ飛び上がった。
浪馬「み、耳元でいきなり叫ぶなよ。鼓膜が破れちまう」
七瀬「ぼーっとよそ事考えてるあなたが悪いのよ。ホント人の話を聞かない人ね」
浪馬「そ、そんなおっかない顔で迫るなよ。き、聞くよ。今からちゃんと聞くから」
ますます顔を近づけ、額がくっ付きそうな距離で睨んでくる七瀬に浪馬は悲鳴をあげた。
七瀬「わかったらよろしい。それでね、そもそもあなたは―――」
再びお小言を始める七瀬を浪馬はしょぼくれた顔で眺め、ただただため息を繰り返す。
浪馬は気づいていない。七瀬が変わりつつある事を。いくら雷が苦手でも、以前の七瀬
なら決して浪馬に頼ろうとはしなかったはず。ましてや何のためらいもなく浪馬の頬に
手を触れ、吐息が掛かるほどに顔を寄せるなど絶対に有り得ない。そんな当たり前の事
すらわからず、浪馬は一人悲嘆に暮れていた。
つむじ曲がり姫の前に現れた白馬の王子様は、優しいけれど酷いニブチンなのだ。
ーーーー
443 :10月のつむじ曲り @たまき視点:2005/10/31(月) 22:54:50 ID:???
七瀬「のんびり休憩してないでさっさと書きなさい。今日中に提出よ」
浪馬「今日中? そりゃあんまりだぜ。せめて週末まで待ってくれ」
七瀬「提出期日はとっくに過ぎてるの。今まで待ってあげただけでも感謝しなさい」
浪馬「参ったなあ・・夕璃チャン、手伝ってくれる? 俺一人じゃとても無理だ」
夕璃「部活日誌に活動報告書、部室使用許可書・・随分溜め込みましたね、くすくすっ」
浪馬「はっはっはっはっ、我ながら感心するぜ」
七瀬「よく笑ってられるわね。執行部がどれだけ迷惑してるのか、わかってるのっ!?」
浪馬「あいででででっ! よ、よせ、耳が取れちまうよ!」
七瀬に耳たぶを引っ張られて、浪馬が悲鳴を上げた。
タマ(うーん、特に変わった風にも見えないんだけど、なんか引っかかるんだよね)
書類の束を手に部室に乗り込んできた七瀬と、長いすで休憩中の浪馬の間に繰り広げら
れるやりとりを眺めながら、たまきはしきりに首を捻る。最近彼女はどうにも気になっ
て仕方ない事がある。浪馬と七瀬に妙な違和感を覚えるのだ。
タマ(刃君は何か気づいてるみたいだけど、聞いても笑ってばかりで教えてくれないし)
夕璃「柴門先輩も手伝って貰えますか? すっごい量なんです」
タマ「え? あ、うん、今テーブルの上を片付けるから、こっちでやろうよ」
夕璃「織屋先輩はこういう事が苦手ですねえ、うふふふ」
タマ「小学校の夏休み日記はいつも白紙で出してたっけ。ホント成長しないんだから」
夕璃と部室奥のテーブルに陣取って書類を広げると、たまきはまた二人を振り返った。
七瀬「マネージャーにばかり働かせてないで、あなたもさっさとやりなさいよ」
浪馬「汗が引くまで待ってくれ。学園祭も終わったのに、どうしてこうも暑いんだ?」
七瀬「私が知るわけないでしょ。ねえ、それよりあなたちょっと汗臭いわよ」
練習してたんだから当たり前だと、浪馬は近くに置いてあったうちわを手に取った。
「七瀬、エアコンとは言わない。扇風機買う予算くらい回して・・あででっ!」浪馬の
言葉が終わらないうちに七瀬の手がすいと伸び、浪馬のほっぺをむぎゅっとつねった。
「対外実績もない癖に、どの口がそんな贅沢言うのかしら? ねえ? 織屋部長?」
タマ(いつもの光景・・・でも・・やっぱり違和感あるんだよねえ・・・)
444 :10月のつむじ曲り2 @たまき視点:2005/10/31(月) 22:56:49 ID:???
タマ「白井さん、ちょっと聞いていい?」
書類に取り掛かったものの、どうも七瀬と浪馬の事が気になるたまきは、夕璃の意見も
聞いてみようと思いついた。彼女もまたあの二人とは接する機会が多い人物だ。
タマ「あのさ、浪馬クンと高遠さんなんだけど、最近どこか変じゃないかな?」
「変? お二人がですか?」夕璃は書類を書く手を止めて、目をぱちぱちと瞬く。
「うん。白井さんは何か思い当たらない?」たまきは声を潜めて更に尋ねた。
夕璃「さあ? 私は特に気づきません。どうしてそう思うんですか?」
タマ「それがわからないから困ってるんだ。でもなーんか違和感あるんだよねえ」
夕璃「私にはいつものお二人に見えますけど、気のせいじゃないですか?」
タマ「そうじゃないよ。だって刃君は答えを知ってるみたいだもん」
夕璃はたまきの言葉にしばらく考え込んでいたが、やがて「やっぱり私には普段どお
りの、仲のいいお二人としか見えないです」と笑顔を見せた。
「は? 仲がいい?」たまきは思わず絶句した。
「浪馬クンと高遠さんの事・・だよね?」たまきはぎこちない笑顔で恐る恐る聞いた。
夕璃「はい、そうですよ」
タマ「あははは、白井さん、あの二人が仲いいなんて冗談キツ過ぎない?」
夕璃「冗談って何のことですか? いつも仲いいじゃないですか。ほら今だって」
夕璃は柔らかく微笑みながら、そっと七瀬たちを指差した。
「いつまで休んでるつもりよ」「時間はもっと有効に使うべきだと思わない?」
「とにかくあなたはのんびりしすぎなの」「同じ事を何度も言わせないで頂戴」
長いすに座ったままの浪馬に容赦なくお小言を浴びせる七瀬の姿にたまきは困惑した。
タマ(ほらって言われてもわかなんないよ。あの二人のどこが仲がいいワケ?)
(一体どこをどう見れば・・・・・あ―――――――――?)
たまきの背中に電流が走った。浪馬が持っていたはずのうちわが、いつの間にか七瀬の
手の中に移ってる。七瀬はぱたぱたと浪馬に優しい風を送っているのだ。
タマ(た、高遠さんが・・・高遠さんが・・・う、うそぉぉぉぉぉ!?)
慌てて夕璃を振り返ると、彼女は「ね?」とばかりにくすんと笑った。
445 :10月のつむじ曲り3 @たまき視点:2005/10/31(月) 23:00:32 ID:???
一旦うちわの手を止め、汗を拭くようにとタオルを手渡し、更に飲み物を差し出し、
そしてまたうちわを扇ぎ出す七瀬の姿を、たまきはただ唖然として見守った。
タマ(私や白井さんもあれくらいはする。マネージャーだもん。でも高遠さんは・・)
(そういえばさっき浪馬クンの耳やほっぺを引っ張った)(あれもよく考えたら変だ)
(そりゃ私だってハリセンで引っ叩くけど、それは幼馴染だからできる事だよ)
浪馬によく懐いてる夕璃や幼馴染のたまきならごく当たり前の事も、あの七瀬が、
浪馬の天敵だった七瀬がするとなると、話は全然違ってくる。
タマ(これが違和感の原因だったんだ)(いつの間にか高遠さんと浪馬クンは・・・)
他に恋人がいるのに平気で浪馬の世話を焼いてしまう彼女は、こう言う微妙なトコロ
にちょっと疎い。夕璃に指摘されてたまきはようやく答えにたどり着いた。
「白井さん、これっていつ頃からなの?」 たまきは夕璃にそっと尋ねた。
夕璃「そうですねえ、二学期が始まった頃はもうそんな雰囲気あったと思います」
タマ「刃君も人が悪いよ。さっさお教えてくれれば・・・・・ああっ?!」
夕璃「どうかしましたか?」
タマ(夏休みに入ってすぐ、浪馬クンが女の子に凹まされた事があったよ)
(浪馬クンを滅多切りにできるなんて、なんてスゴイ子だと思ったけど)
(その子ってもしかして・・・・・)
たまきが再び目をやると、いつの間にか七瀬は長いすに、浪馬の隣に腰を降ろしていた。
肩が触れ合うほどに浪馬に寄り添うその姿に、たまきの口元に思わず微笑が浮かぶ。
タマ(気づかなかった私がどうかしてたよ。見れば見るほど仲いいじゃない、ふっふっふ)
日に日に大きくなる七瀬の恋心は、もはやつむじ曲りの虫ですら押さえがきかなくなり
始めていた。口ではどんなにキツイ事を言おうとも、彼女の体は無意識のうちに浪馬と
の触れ合いを求めてしまうのだ。周囲の人々もそれに気づき始めた。
そしてあの日が、七瀬の運命を決めたあの夜が訪れたのだった。11月へと続く
ーーーー
609 :11月のつむじ曲り :2005/11/30(水) 23:58:22 ID:???
登校時間の学校玄関。下駄箱の影で腕時計を見てはため息をつく七瀬の姿があった。
七瀬(今日も遅いわねえ。もう始業ベルが鳴っちゃうわ。折角待ってるのに・・・あっ!)
遅刻寸前なのに特に慌てた風もない男の顔を見て、七瀬の鼓動が急速に高まってゆく。
彼女は一つ大きく深呼吸をすると、そっと男の背後に歩み寄った。
七瀬「おはよう、織屋君」
浪馬「おはよ、七瀬。おまえも今来たのか?」
七瀬「う、ううん、その・・執行部に寄ってたの。今から教室に行くところよ」
浪馬「そっか。副会長は朝から大変だな」
二人は並んで階段へと向かった。
七瀬「ねえ織屋君、あなたもう少し早く登校できないの?」
浪馬「遅刻はしてないだろ」
七瀬「今日はね。先週は三回も遅刻したじゃない」
浪馬「うへぇ、なんで知ってるんだよ?」
七瀬「はあ? 始末書を私に提出したのを忘れたの?」
三階まで上った所で二人は足を止めた。組の違う彼らの行き先はここで左右に分かれる。
七瀬「じゃあしっかり授業を受けるのよ。机で寝ちゃだめよ?」
浪馬「わかってるよ。ん? 昨日もそのセリフ聞いた様な記憶があるな」
七瀬「え? それは昨日も下駄箱の所で会って一緒に此処まで来たから・・うん」
浪馬「そっかそっか。あれ? そういえば一昨日も会わなかったか? 下駄箱で」
七瀬「き、昨日は職員室から戻る途中で、その前は玄関の所で皆の服装チェックを・・」
浪馬「なるほど、そこへ丁度俺が登校してきたってワケか。結構凄い偶然だな」
七瀬「そ、そうね」
「んー、まあ偶然でも何でもいいや」浪馬はあたりをさっと見渡し、始業ベル寸前で
廊下に人影がないのを確認すると、彼はやにわに七瀬の耳元に口を寄せた。
浪馬「朝からこんな美人の顔を拝めるんだから俺はツイてるよ。じゃあな、七瀬」
七瀬「ええっ!?」
それだけ言うと、浪馬はさっさと歩いていってしまう。七瀬はその姿を呆けた表情で
見送っていたが、浪馬の背中が教室に吸い込まれた瞬間、耳まで真っ赤になった。
610 :名無しさん@ピンキー:2005/11/30(水) 23:58:53 ID:???
一時間目の後の休憩時間
浪馬「だから寝てねえって」
七瀬「それならよろしい」
浪馬「おまえそんな事を確認しに来たのか?」
七瀬「もちろんよ。執行部副会長として当然の責務だわ」
浪馬「七瀬、もしかして学園生徒全員の授業態度をチェックしてんのか?」
一時間目終わったとたん教室に押しかけてきた七瀬に向かって、浪馬は呆れ声をあげた。
七瀬「いいえ。あなただけよ」
浪馬「げっ? な、なんで俺だけなんだ?」
七瀬「受験生でなおかつ落第の危機。そして常習性。あなたは最重要ターゲットよ」
浪馬「あのな・・・」
七瀬「いい? 次の授業もちゃんと受けるのよ?」
指で浪馬のおでこをちょんちょんとと突くと、七瀬は教室を出て行った。
三時間目の後の休憩時間
浪馬は椅子でボケーっとしていた。授業中眠れぬとなると昨夜の夜更かしが堪える。
浪馬(眠い。ったく七瀬め、どんな風の吹き回しだ? 授業態度のチェックなんて)
(デートの時は可愛くなったんだけどな。ベッドの中なんてそりゃもう・・ん?)
教室の入り口のところで何やら動く人影が、浪馬の視界の隅に入った。
浪馬(あれって七瀬・・・か?)
彼女は扉の前の廊下で行ったり来たりを繰り返し、チラチラと浪馬を見ている様だ。
浪馬(何やってんだ? もしかしてまた俺の授業態度を確認しに来たとか?)
(それにしては様子が変な気もするし・・・ま、直接聞いた方が早いな)
ところが浪馬が立ち上がるのを見ると、途端に七瀬はギクっとした表情を見せて、慌
ててその場を立ち去った。
一旦椅子から浮かした腰をふたたび戻しながら、浪馬ははて?と首を捻った。
浪馬(な、なんだったんだ今のは? 何で逃げるんだよ? 俺、何かしたっけ?)
611 :名無しさん@ピンキー:2005/11/30(水) 23:59:14 ID:???
放課後、人気の無いKB部の部室で、一人椅子に座って俯く七瀬の姿があった。
七瀬(大急ぎで執行部の仕事を終えたのに)(丁度いい具合に届ける書類もあったのに)
(ゆっくりお話できると思ったのに、私を置いてロードワークに行くなんて酷い)
七瀬は手にした書類と差し入れの飲み物を机に放り出すと、深いため息をついた。
あの運命の夜、七瀬の中で巨大な爆発が起こった。つむじ曲りの虫で押さえ込んでい
た浪馬への想いが灼熱のプロミネンスの如く吹き上がり、その身を焼き尽くし、そし
て七瀬は浪馬に溺れた・・・もはやどうしようもないくらいに。
七瀬(今日はもうあなたと会えないのかしら)(明日まで会えないなんて・・気が狂いそう)
机の上に無造作に置かれた浪馬のトレーナーを手に取ると、七瀬は顔を押し付けた。
かすかに残る浪馬のにおいが切ないほど嬉しかった。
七瀬(私達が付き合ってる事は皆には内緒にしようって言われて、頷いちゃったけど)
(あなたと自由に会えないのが、こんなに辛いなんて思わなかったわ)
周囲にバレないようにするには、今まで通り天敵同士を演じるしかない。それが七瀬
には大きな負担だった。彼女は、彼女自身も知らなかった事だが、愛する男との触れ
合いを何よりも求めるタイプだった。だから朝は、偶然を装って浪馬を下駄箱のとこ
ろで待った。無理やり執行部がらみの用件を作って会いに行った。あらゆる機会を利
用して、七瀬は毎日涙ぐましい努力を続けていた。それでも彼女の心は満たされない。
七瀬(毎朝あなたにおはようって笑って欲しい)(一緒にお昼ご飯を食べたい)
(部室のベンチでお昼寝するあなたを膝枕してあげたい)(手を繋いで帰りたい)
(みんなに言いたい。私はあなたの恋人だって・・・あなたの女だって・・)
七瀬はトレーナーに袖を通すと、両手でぎゅっと肩を抱いた。そうすると、浪馬が背
中から優しく抱きしめてくれているような気がした。
いっその事、浪馬に隠すのはやめるよう頼もうかと思うのだが、七瀬の中に住む意地
っ張りとつむじ曲がりの虫が邪魔をする。七瀬は困り果てていた。
612 :名無しさん@ピンキー:2005/11/30(水) 23:59:50 ID:???
志藤「だ、だから遅刻しないようには・・まあ・・その・・なんだ」
翌日の放課後。また遅刻をした浪馬を執行部に呼び出した志藤は酷く往生していた。
七瀬「生活習慣が大切よ。全ての根本はそこなの。先生、そうですよね?」
志藤「そ、そうだな。高遠の言うとおりだ、は、はははは」
恋しい浪馬が目の前に居るのに七瀬がじっとしているハズも無い。これ幸いとばかり
に椅子を引っ張り出して浪馬の横に座ると、志藤のお株を奪って愛のお説教を始めた。
志藤はやりにくくて仕方ない。
七瀬「どうして朝起きられないの? 目覚ましはあるんでしょう?」
浪馬「鳴っても気づかず寝てるんだ。知らないうちに自分で切っちまう時もある」
七瀬「もう困った人ね。あ、そうだわ。私が毎朝電話かけてあげるわ」
浪馬「えっ? で、でも目覚ましの音でも起きないから電話でも一緒だ、たぶん」
七瀬「ふう、それじゃあなたの家まで迎えに行くしかないわね」
浪馬「は、はあ? よ、よしてくれ。小学生のガキじゃあるまし」
七瀬「朝一人で起きられないんだから子供と同じじゃないの。ね、志藤先生?」
志藤「あ、ああ・・・そ、そうかもしれん」
浪馬の手を愛おしむ様にそっと重ねられた七瀬の手に、志藤の視線は釘付けだった。
熱血教師の額から汗がひとすじ流れ落ちてゆく。
七瀬「決まりだわ。早速明日から迎えに行くわ。そうね、八時ごろでいいかしら?」
浪馬「よ、よせよ、迎えなんて。みんなに変に思われたら困るだろ?」
七瀬「何が変なの? これは執行部の仕事よ。健全な学園生活を送ってもらうための」
浪馬「お、俺だけそんな特別待遇してくれなくてもいいからさ」
七瀬「この学園で一人暮らししてるのはあなただけだもの。それくらい協力するわ」
浪馬「え、遠慮する。大体玄関先で呼ぶくらいじゃ俺起きられないぜ。だから――」
執行部の名の元にトンでもない提案を押し付ける七瀬に、浪馬の声に悲鳴が混じった。
七瀬「だったら部屋に入ってお布団を引っ剥がしてあげるわ」
七瀬は真顔で恐ろしい事を口走る。狼狽した浪馬は慌てて周囲を見回した。部屋には
執行部員達がわんさといるのだ。
613 :名無しさん@ピンキー:2005/12/01(木) 00:00:17 ID:???
「先生っ、なんか言ってくれよ」狼狽した浪馬は志藤に助けを求めた。
浪馬「女の子が一人暮らしの男の部屋に入るなんてマズイいだろ?」
志藤「う、うむ・・何かの弾みで、ほ、ほら、間違いが起こるかもしれんしな」
相変わらず仲良く重ねられた二人の手から目を離し、辛うじて志藤は答えた。
七瀬「でも織屋君の遅刻を止めるには、それくらいしないと無理です、先生」
しかし七瀬は全く引く気はない。執行部の業務を口実に毎朝浪馬を迎えに行ける。浪馬の
着替えを手伝ったり、時間があれば二人で朝の紅茶も飲める。当然登校も二人一緒だ。
七瀬「部屋に入るくらいなんでもありません。織屋君はこれでも紳士ですから」
浪馬と触れ合う機会を一秒でも増やしたい彼女は、もはや執行部の仕事と前置きしても
取り繕いようのない領域にまで暴走している事に気がついてない。そして遂に志藤が余
計な一言を口にしてしまった。
「し、しかし部屋に入ろうにも玄関の鍵は? まさか合鍵を預かるワケにも――うっ?」
志藤は後の言葉を飲み込んだ。七瀬が、七瀬の顔がみるみる真っ赤に染まってゆく。
七瀬「か、鍵は・・・・あの・・・・えっと・・・・・あの・・・その・・・」
恐ろしく甘えた表情で七瀬は浪馬にそっと視線を送った。彼女はつい先日、浪馬から
部屋の合鍵を手渡されたばかりだった。うぶで不器用な彼女に、志藤の言葉をさらり
と受け流す事などできるはずもない。もはや覚悟を決めたのか、浪馬も七瀬に優しく
微笑み返した。
この出来事は瞬く間に学園中に知れ渡った。
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