喧嘩神山本


『喧嘩神山本』とは、江戸時代中期頃に著された喧嘩の極意書である。
著者は不明だが、恐らく任侠関係の人物ではないかと推測されている。

「神山」という言葉が指す意味については諸説あるが、
「神山」=「富士山」、つまりは喧嘩に関する書物の中で、この書は「最高峰」に位置し、
喧嘩におけるこの上ない「頂点」、つまり「極意」が記されていることを示す、
という説が有力である。

「火事と喧嘩は江戸の華」という慣用句があるように、
江戸っ子は非常に威勢がよく、町中で喧嘩が絶えなかったと言われる。
喧嘩は言わば江戸の町の見世物の一つであり、町人の娯楽でもあった。
腕っ節の強い男、見事な喧嘩っぷりを見せつける男に皆憧れ、
喧嘩の強さ・巧さは、歴としたステイタスになっていたのだ。

そこで書かれたのがこの書物。
前文には著者の喧嘩に対する思いや信条が語られており、
「江戸の華を、より鮮やかに、より美しく開花させんがために記す」
という序文に始まり、

「ああ喧嘩 殴り殴られ 蹴り蹴られ 
 とにかく私は 敗北が知りたい」 

という意味不明な短歌も残されている。
開き直ったのか字余りも連発している。

とりあえず喧嘩に懸ける情熱は確かなようで、
「勝利」というその一点のみに向けて書かれた内容は、

●危なくなったら即逃げろ、でもそれは負けじゃないよ、いつかちゃんと殺せば勝ちだよ
●果たし合いだろうが何だろうが、当日体調が悪かったら無理せず休め
●馬鹿にされても忍耐は大事、いずれ訪れる勝機のみを見据えろ

など、一見相手に背を向けるような行為すらも許容し、
最終的に勝つ、「終わり良ければ全て良し」の精神を重視している。

しかし、実戦における喧嘩術は、

●関節を全固定化し、自身の全体重を乗せて打撃を放つ、是即ち剛体術なり
●心身の極限なる酷使、その先に待つは至高の快楽なり
 慣れると耳を捻ればその境地に至る
●関節なんかないって意識すれば、手が鞭になるぞ
●それを更に極むれば、比類なき威力の突きを習得せむ
 ただし腕は滅茶苦茶に弾け飛ぶぞ

などといった非常に無茶苦茶なものが多い。
著者もそのことを理解していたのか、最終的に

●仲間集めて100人で襲いかかれば絶対に勝てる
 どんなに人数が多くても一度に相手出来るのは4人なんてのはまやかし

という身も蓋もない結論を出して終わっている。
結局この本は世に出回ることはなく、ある有名漫画家を輩出した家に代々受け継がれ、門外不出とされていた。
実はその漫画家は、この書物から漫画のネタを拝借しているとか、いないとか…

言うまでもなく、全部嘘である。
最終更新:2011年08月13日 01:19