声優相撲の歴史

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*「声優相撲の歴史」 声優相撲は、テレビアニメで活躍する女性声優を対象としている。 「声優相撲協会」が設立されたのは、1968年であるが、 それ以前も含めた「声優力士」の活躍をここでは説明していく。 ** 1960年代まで 「声優」の歴史は、1925年に日本でラジオ放送が開始され、 それに伴ってスタートした「ラジオドラマ」での声のみで 演じる役者を「ラヂオ役者」として誕生、育成させた80年前まで遡り、 彼女らを「&bold(){日本の声優第1号}」する研究も多い。 1930年前後にアニメ映画として公開された「茶目子の一日」での、 &bold(){平井英子}や&bold(){飯島綾子}などが声優相撲の黎明期における名力士として 現在まで名が伝えられている。 1942年には「東京放送劇団」の第1期生がデビューを果たし、 「&bold(){日本の声優第2号}」と呼ばれる。 この頃「&bold(){声優}」という名称が誕生したとされている。 戦後1950年代に入ると、NHKに加えて民放ラジオ局も次々と開局し、 TBSラジオ(当時のラジオ東京)などで放送され好評を博した、 「ラジオドラマ」によって「声優」の人気が多いに高まった。 また1953年、テレビの本放送が開始されると、 まず海外アニメや邦画の「吹き替え」により「&bold(){第1次声優ブーム}」を迎える。 吹き替えタレントの地位向上を目指し、 「共同互助の精神に基づき、組合員の生活の文化的経済的改善向上を計る」 という定款を元に1960年、立ち上げられたのが現在も続く、 「&bold(){東京俳優生活協同組合}」(俳協=東関部屋)である。 1963年、「国産毎週放送30分テレビアニメ」としては 日本初となる「&bold(){鉄腕アトム}」を中心に、白黒アニメ時代を迎える。 当初は海外アニメ、邦画と同じく、俳優、タレント、落語家などが 声の出演を務めており、「声優」と「タレント」の境界線は曖昧だった。 「声優相撲」としての&bold(){第1回興行}は、1963年年末に遡り、 この年に放送が開始されたテレビアニメでの活躍を元に開催。 「&bold(){田上和枝}」が優勝相当の成績を残している。 1972年まではアニメ本数も少なかったため、 &bold(){「本場所」は年1回の開催のみ}であった。 テレビアニメは当初は、特撮番組や人形劇、子供向け映画作品と同じく、 「子供向け番組」の一つであり、特に区別はされなかった。 また実写とアニメを組み合わせた作品も多く、 声優相撲黎明期には、&bold(){黒柳徹子、中村メイコ}などのタレントも 土俵に上がっていたとされ、理事として名跡を襲名していたとされる。 2年連続優勝を果たし「横綱」に推挙された「&bold(){加藤みどり}」関が、 声優相撲の「&bold(){初代横綱}」となる。声優相撲の人気の高まりにより、 毎年開催が定着したことから、&bold(){1968年「声優相撲協会」が発足}。 1969年「サザエさん」により3度目の優勝(相当)を果たした加藤み関が &bold(){「理事長」職}に専念するため現役を引退。90年代まで理事長を務める。 ** 1970年代 1969年からはそれまで9日間だった興行を11日間とした。 1970年代前半は、白石冬美、太田淑子など、 声優相撲黎明期から活躍する力士が中心だったが、 1969年に設立された日本初の声優専門の芸能事務所である 「&bold(){青二プロダクション}」(出羽海部屋)が設立された頃から、 タレントや芸能人から独立し、生え抜きの「声優」が増え始める。 1972年から更に期間が伸び「13日制」となり、 1973年からはついに本場所が春・秋の&bold(){「年2場所」}となる。 その時代に活躍を始めたのが&bold(){昭和の大横綱・野沢雅子}である。 1970年代後半には、いわゆる&bold(){「野沢・吉田時代」}と呼ばれる 春場所に「吉田理保子」、秋場所に「野沢雅子」が優勝する という&bold(){「第2次声優相撲ブーム」}が到来する。 第1次ブームの時に子供だった世代が中高生、社会人となり 子供達と共に声優相撲人気を支えるようになると、 「宇宙戦艦ヤマト」を中心に熱狂的なファンが増え、 声優単体への「タニマチ」が増加し始める。 声優による「ラジオ番組」「歌手・音楽活動」「テレビ出演」 など現在にも繋がる&bold(){「声優のタレント化」}が進んだ。 ** 1980年代 80年代前半は、野沢雅子、吉田理保子、横沢啓子による3横綱時代。 80年代後半になると山田栄子が横綱に代わって昇進、 潘恵子、田中真弓などタレント的な活動をする力士が 徐々に声優としても番付を上がるようになる。 声優相撲人気の高まりを受け、1982年には相撲教習所 「青二塾」(出羽海養成塾)が開かれ、 「声優」を目指し初土俵を踏む力士が増えた。 また「機動戦士ガンダム」などに代表される、 熱狂的な声優相撲ファン(いわゆるオタク)が増え、 &bold(){「子供向け」と「中高生(以上)向け」での隔たり}が、 徐々に広がり始めた時期でもある。 1986年からは人気の加熱により、現在に続く「&bold(){15日制}」が定着。 バブル経済も後押しして、地方巡業も大入りとなった。 また、出羽海部屋から、「分家」として 「ぷろだくしょんバオバブ」(高砂改正組)や 「81プロデュース」(九重部屋)、「アーツビジョン」(二所ノ関部屋) などが誕生し、現在も大部屋、一門として活躍を続けている 部屋の多くが誕生した。 ** 1990年代前半 1990年春場所、当時平幕だった「&bold(){林原めぐみ}」が初優勝。 1991年からは念願だった「&bold(){年4場所}」(初・春・夏・秋)となる。 それと同時に、一人横綱・野沢雅子が引退し、初の横綱不在となる。 90年代前半の声優相撲を支えたのが、 「坂本千夏」「折笠愛」の両横綱を中心とした「&bold(){愛・千夏時代}」。 坂本千が史上初3連覇を果たすと、折笠愛が5連覇を果たすなど 両者が切磋琢磨すると共に、大関以下も個性派が集い、 田中真弓、高山みなみ、松本梨香などが大関としてよく善戦した。 1994年、坂本千夏が引退すると、 折笠愛の一人横綱時代となり、怒涛の4連覇を果たす。 この時、2場所連続「準優勝」となり大関筆頭格だった 「林原めぐみ」が「将来性」と「人気」を見込まれ、 平幕優勝1回のみながら「横綱」に昇進する。 賛否が別れたが1995年から人気絶頂を体現するかのように 4連覇を果たし、90年代中盤からの「&bold(){第3次声優相撲ブーム}」を 象徴する横綱として君臨し続けた。 声優ブームでは、「歌手活動」が更に広まり、 横綱・林原のように、オリコンチャート上位にランクイン、 TWO-MIXの大関・高山のように、数十万枚を売り上げるなど、 アニメ主題歌として大ヒットを飛ばす例が増える。 その一方で、両者だけでなく、 「武道館ライブ」を成功させた椎名へきる や、 岩男潤子、國府田マリ子など、作品に関係なく歌手として 人気を保ち、個人歌手活動を勢力的に行う力士も増えた。 また、文化放送などを中心に、声優を冠したアニラジも 声優相撲を支える一員となり、 緒方恵美、久川綾、丹下桜など、アニメ作品とラジオ、 双方から人気が高まった力士も誕生した。 ただし、声優の「&bold(){アイドル化}」に関しては、 賛成反対が真っ向から対立した。 横綱・林原は自身のアイドル化を最後まで否定し続け、 「相撲道」「声優道」を極めることに横綱人生を捧げた。 また、熱狂的なタニマチの存在により、 特定の力士への「ファン」と「アンチ」が対立し、 声優相撲人気に大きな影を落とすこととなった。 一方で、タレント業、音楽業に注力する反動として、 声優相撲の稽古に充てる時間が減ることとなる。 人気は高いものの、稽古不足により本場所で良い結果を 残せず、横綱・大関や三役に昇進できなかった力士も多く居た。 ** 1990年代後半 90年代後半は、「林原時代」の全盛期ではあるが、 水谷優子、三石琴乃に賜杯を奪われ、2年間優勝出来なかった。 1998年に林原が復活し3連覇を果たすと、「&bold(){第2次林原時代}」となる。 しかし林原が結婚を発表し横綱を引退、2000年には 90年代の「声優ブーム」が収束し、2度目の横綱空位となる。 「美少女戦士セーラームーン」「幽☆遊☆白書」に続き、 「新世紀エヴァンゲリオン」「カードキャプターさくら」など 作品と声優の印象が強くリンクした作品を通じて、 多くの力士が確固たる地位を確立したことにより、 現在まで親方として高い人気と実力を持った力士が生まれた。 一方、声優人気が過剰となったため、 宮村優子、小西寛子関の大関経験者の引退や また横綱・林原の結婚発表による引退が物議を呼び、 開催も一時危ぶまれるほどの加熱ぶりを見せた。 そうした中、声優相撲協会は新時代へと対応するため、 30年理事長職を務めてきた加藤みどりが勇退し、 2代目理事長として野沢雅子が就任した。 ** 2000年代前半 2000年、新鋭が現れる。当時新関脇だった「&bold(){堀江由衣}」である。 林原引退後となる2000年初場所から連続優勝で大関となると、 横綱空位の中、無類の強さを誇り、史上初の「&bold(){6連覇}」を達成。 「&bold(){堀江時代}」の到来を告げた。 2001年からは先のブームを受け「&bold(){年6場所}」とし、 本家大相撲と同じ開催規定となった。 2001年に大関となった「田村ゆかり」と共に、 「&bold(){やまとなでしこ}」で一時代を築き、 横綱・堀江由衣は2年半に渡り「一人横綱」を守った。 一方で、2001~02年までの12場所中、 平幕優勝3回、三役優勝3回と波乱の場所が続き、 横綱・大関陣がなかなか優勝できない事態が続いた。 2003年に折笠富美子が横綱となり、2人横綱体勢が04年まで続く。 ** 2000年代後半 2005年には1年で3人が大関から横綱に昇進し、 「&bold(){第1次5横綱時代}」を迎える。その5人とは以下の横綱である、 堀江由衣、折笠富美子、川上とも子、能登麻美子、川澄綾子。 5横綱と、大関・水樹奈々の体勢の中、 2006年からは現行制度での得点制度で集計を始めている。 (幕内力士42人の枚目を決めているのは2006年から) その時期ごと、クールごと、場所ごとに活躍する力士が 変わり、安定して優勝することが難しくなったことで、 横綱が増加する一方、大関を保つことが容易で無くなった。 これは、00年代後半に掛けて、放送されるアニメ作品が 急増したことが大きな要因であると考えられる。 一方で、「&bold(){電車男}」などを通じて、「オタク」「秋葉原」の 文化が広く親しまれ、声優相撲の一般化が進んだ。 2005年「魔法先生ネギま!」、 2006年「涼宮ハルヒの憂鬱」、 2007年「らき☆すた」、 2008年「マクロスF」、 2009年「けいおん!」 とアニメソングを含めて、 広く親しまれたアニメ作品も登場し、劇的にファン層が広がった。 声優の歌手活動、アイドル化も再度加速し、 大関から陥落したものの、2009年には水樹奈々が 「NHK紅白歌合戦」に初出場、オリコンチャートの上位に アニメソング、声優ソングが次々とランクインするなどし、 「&bold(){第4次声優相撲ブーム}」が始まる素地が作られた。 ** 2010年代 2010年初場所から「&bold(){第2次5横綱時代}」が到来する。 堀江由衣、能登麻美子、川澄綾子に加えて、 伊藤静、沢城みゆき の5人が横綱となり、4場所続いた。 しかし、新鋭も台頭し、2000年代から綱を守ってきた 能登麻美子、川澄綾子の時津風勢が引退すると、 2011年九州場所で11年間綱を保った堀江由衣が引退した。 2010年代を代表する名横綱はやはり「&bold(){花澤香菜}」である。 川澄、能登という2横綱の下、急速に力を付け、 2010年から翌年に掛けて、史上2人目となる「&bold(){6連覇}」を達成。 初優勝から4年間で「16回」の優勝を飾り、 堀江由衣の記録を抜き、最多優勝回数を誇る、 「&bold(){花澤時代}」を築き上げた。 また、2012年一年間は新興勢力である 朝日山部屋(ミュージックレイン)に所属する2大関、 戸松遥と豊崎愛生が横綱・花澤と激戦を繰り広げた。 なお、2012年夏に「声優相撲」を企画立案したため、 2012年秋場所以降はすべて&u(){「リアルタイム」} での結果発表となっている。(ここまでは後から集計) 2013年に豊崎が大関陥落した一方で、花澤時代も一段落し、 日笠陽子、茅野愛衣が続けて大関に昇進し、 茅野愛衣は2014年に横綱に昇進、「&bold(){3横綱時代}」となった。 2010年代に入り、「第4次声優相撲ブーム」が加熱した。 水樹奈々を筆頭に「声優」という職業の知名度が 一般層に広く浸透したことが大きな要因と思われる。 また中高生以降でテレビアニメを見ることへの抵抗が弱まり、 「趣味」の一環として声優、アニメを楽しむ人間が 増えたことも大きな要因であると思われる。 こうした流れの中、声優にあこがれて、 「声優」を目指す学生が急増しており、 声優力士養成所、声優相撲部屋への入門の競争率が 非常に高まっており、&bold(){狭き門}となっている。 加えてアニメ作品は増加しているものの、 出演できる声優力士は上位の一部に限定されやすい傾向にあり、 かつ次々と実力、人気の高い新人がデビューしているため、 &u(){「声優相撲力士の寿命が短くなっている」 「声優相撲力士の回転率が早まっている」}という傾向が強まり、 長期間に渡る活躍が難しくなっている。 多くの才能ある人材が声優相撲の世界に現れ、 幅広く層の厚い声優相撲が展開されている点は歓迎すべきである。 しかし、上記のような構造的な問題が顕在化しており、 声優相撲協会、声優相撲力士全体で取り組んで行かねばならない。 「声優相撲」は、50年近い歴史の流れの中で現在がある。 これからも、アニメがある限り、声優という職業がある限り、 声優相撲は続いていくと信じて。 ** 補足 「声優相撲」は、2012年夏に企画し、秋に掛けて制度を確立しました。 1963年から番付を決める作業は2013年まで掛かりました。 50年の膨大なデータは、過去放送された数千のアニメ作品の キャストを手作業で集め、それを元に「得点」を集計。 それをもとに勝敗を決め、番付を決め、推移させてきました。 (「声優」も「相撲」も、この企画を通じて詳しくなりました。  今では大事な趣味の一環です。) 例えば2000年以降など時代を区切らず、アニメ放送開始の 1963年から番付を付けた理由ですが。 ・本家「大相撲」も300年以上の歴史の中で現在がある点 ・親方衆を決める上で、過去の流れを知ることが必要だった点  などが挙げられます。 まあ、「やるからには」「全部やろう!」という 情熱に突き動かされたからだと思いますww 2012年以前は、後から「リアリティ」を持たせつつ、 後付けで作ったものであるため、 細かく決めていない部分が多々あります。ご了承下さい。 では、声優相撲50年の歴史(実質数年間ですがww)を ご堪能下さい。 2015年5月30日 私益財団法人 声優相撲協会 会長 y=Rx
*「声優相撲の歴史」 声優相撲は、テレビアニメで活躍する女性声優を対象としている。 「声優相撲協会」が設立されたのは、1968年であるが、 それ以前も含めた「声優力士」の活躍をここでは説明していく。 ** 1960年代まで 「声優」の歴史は、1925年に日本でラジオ放送が開始され、 それに伴ってスタートした「ラジオドラマ」での声のみで 演じる役者を「ラヂオ役者」として誕生、育成させた80年前まで遡り、 彼女らを「&bold(){日本の声優第1号}」する研究も多い。 1930年前後にアニメ映画として公開された「茶目子の一日」での、 &bold(){平井英子}や&bold(){飯島綾子}などが声優相撲の黎明期における名力士として 現在まで名が伝えられている。 1942年には「東京放送劇団」の第1期生がデビューを果たし、 「&bold(){日本の声優第2号}」と呼ばれる。 この頃「&bold(){声優}」という名称が誕生したとされている。 戦後1950年代に入ると、NHKに加えて民放ラジオ局も次々と開局し、 TBSラジオ(当時のラジオ東京)などで放送され好評を博した、 「ラジオドラマ」によって「声優」の人気が多いに高まった。 また1953年、テレビの本放送が開始されると、 まず海外アニメや邦画の「吹き替え」により「&bold(){第1次声優ブーム}」を迎える。 吹き替えタレントの地位向上を目指し、 「共同互助の精神に基づき、組合員の生活の文化的経済的改善向上を計る」 という定款を元に1960年、立ち上げられたのが現在も続く、 「&bold(){東京俳優生活協同組合}」(俳協=東関部屋)である。 1963年、「国産毎週放送30分テレビアニメ」としては 日本初となる「&bold(){鉄腕アトム}」を中心に、白黒アニメ時代を迎える。 当初は海外アニメ、邦画と同じく、俳優、タレント、落語家などが 声の出演を務めており、「声優」と「タレント」の境界線は曖昧だった。 「声優相撲」としての&bold(){第1回興行}は、1963年年末に遡り、 この年に放送が開始されたテレビアニメでの活躍を元に開催。 「&bold(){田上和枝}」が優勝相当の成績を残している。 1972年まではアニメ本数も少なかったため、 &bold(){「本場所」は年1回の開催のみ}であった。 テレビアニメは当初は、特撮番組や人形劇、子供向け映画作品と同じく、 「子供向け番組」の一つであり、特に区別はされなかった。 また実写とアニメを組み合わせた作品も多く、 声優相撲黎明期には、&bold(){黒柳徹子、中村メイコ}などのタレントも 土俵に上がっていたとされ、理事として名跡を襲名していたとされる。 2年連続優勝を果たし「横綱」に推挙された「&bold(){加藤みどり}」関が、 声優相撲の「&bold(){初代横綱}」となる。声優相撲の人気の高まりにより、 毎年開催が定着したことから、&bold(){1968年「声優相撲協会」が発足}。 1969年「サザエさん」により3度目の優勝(相当)を果たした加藤み関が &bold(){「理事長」職}に専念するため現役を引退。90年代まで理事長を務める。 ** 1970年代 1969年からはそれまで9日間だった興行を11日間とした。 1970年代前半は、白石冬美、太田淑子など、 声優相撲黎明期から活躍する力士が中心だったが、 1969年に設立された日本初の声優専門の芸能事務所である 「&bold(){青二プロダクション}」(出羽海部屋)が設立された頃から、 タレントや芸能人から独立し、生え抜きの「声優」が増え始める。 1972年から更に期間が伸び「13日制」となり、 1973年からはついに本場所が春・秋の&bold(){「年2場所」}となる。 その時代に活躍を始めたのが&bold(){昭和の大横綱・野沢雅子}である。 1970年代後半には、いわゆる&bold(){「野沢・吉田時代」}と呼ばれる 春場所に「吉田理保子」、秋場所に「野沢雅子」が優勝する という&bold(){「第2次声優相撲ブーム」}が到来する。 第1次ブームの時に子供だった世代が中高生、社会人となり 子供達と共に声優相撲人気を支えるようになると、 「宇宙戦艦ヤマト」を中心に熱狂的なファンが増え、 声優単体への「タニマチ」が増加し始める。 声優による「ラジオ番組」「歌手・音楽活動」「テレビ出演」 など現在にも繋がる&bold(){「声優のタレント化」}が進んだ。 ** 1980年代 80年代前半は、野沢雅子、吉田理保子、横沢啓子による3横綱時代。 80年代後半になると山田栄子が横綱に代わって昇進、 潘恵子、田中真弓などタレント的な活動をする力士が 徐々に声優としても番付を上がるようになる。 声優相撲人気の高まりを受け、1982年には相撲教習所 「青二塾」(出羽海養成塾)が開かれ、 「声優」を目指し初土俵を踏む力士が増えた。 また「機動戦士ガンダム」などに代表される、 熱狂的な声優相撲ファン(いわゆるオタク)が増え、 &bold(){「子供向け」と「中高生(以上)向け」での隔たり}が、 徐々に広がり始めた時期でもある。 1986年からは人気の加熱により、現在に続く「&bold(){15日制}」が定着。 バブル経済も後押しして、地方巡業も大入りとなった。 また、出羽海部屋から、「分家」として 「ぷろだくしょんバオバブ」(高砂改正組)や 「81プロデュース」(九重部屋)、「アーツビジョン」(二所ノ関部屋) などが誕生し、現在も大部屋、一門として活躍を続けている 部屋の多くが誕生した。 ** 1990年代前半 1990年春場所、当時平幕だった「&bold(){林原めぐみ}」が初優勝。 1991年からは念願だった「&bold(){年4場所}」(初・春・夏・秋)となる。 それと同時に、一人横綱・野沢雅子が引退し、初の横綱不在となる。 90年代前半の声優相撲を支えたのが、 「坂本千夏」「折笠愛」の両横綱を中心とした「&bold(){愛・千夏時代}」。 坂本千が史上初3連覇を果たすと、折笠愛が5連覇を果たすなど 両者が切磋琢磨すると共に、大関以下も個性派が集い、 田中真弓、高山みなみ、松本梨香などが大関としてよく善戦した。 1994年、坂本千夏が引退すると、 折笠愛の一人横綱時代となり、怒涛の4連覇を果たす。 この時、2場所連続「準優勝」となり大関筆頭格だった 「林原めぐみ」が「将来性」と「人気」を見込まれ、 平幕優勝1回のみながら「横綱」に昇進する。 賛否が分かれたが1995年から人気絶頂を体現するかのように 4連覇を果たし、90年代中盤からの「&bold(){第3次声優相撲ブーム}」を 象徴する横綱として君臨し続けた。 声優ブームでは、「歌手活動」が更に広まり、 横綱・林原のように、オリコンチャート上位にランクイン、 TWO-MIXの大関・高山のように、数十万枚を売り上げるなど、 アニメ主題歌として大ヒットを飛ばす例が増える。 その一方で、両者だけでなく、 「武道館ライブ」を成功させた椎名へきる や、 岩男潤子、國府田マリ子など、作品に関係なく歌手として 人気を保ち、個人歌手活動を勢力的に行う力士も増えた。 また、文化放送などを中心に、声優を冠したアニラジも 声優相撲を支える一員となり、 緒方恵美、久川綾、丹下桜など、アニメ作品とラジオ、 双方から人気が高まった力士も誕生した。 ただし、声優の「&bold(){アイドル化}」に関しては、 賛成反対が真っ向から対立した。 横綱・林原は自身のアイドル化を最後まで否定し続け、 「相撲道」「声優道」を極めることに横綱人生を捧げた。 また、熱狂的なタニマチの存在により、 特定の力士への「ファン」と「アンチ」が対立し、 声優相撲人気に大きな影を落とすこととなった。 一方で、タレント業、音楽業に注力する反動として、 声優相撲の稽古に充てる時間が減ることとなる。 人気は高いものの、稽古不足により本場所で良い結果を 残せず、横綱・大関や三役に昇進できなかった力士も多く居た。 ** 1990年代後半 90年代後半は、「林原時代」の全盛期ではあるが、 水谷優子、三石琴乃に賜杯を奪われ、2年間優勝出来なかった。 1998年に林原が復活し3連覇を果たすと、「&bold(){第2次林原時代}」となる。 しかし林原が結婚を発表し横綱を引退、2000年には 90年代の「声優ブーム」が収束し、2度目の横綱空位となる。 「美少女戦士セーラームーン」「幽☆遊☆白書」に続き、 「新世紀エヴァンゲリオン」「カードキャプターさくら」など 作品と声優の印象が強くリンクした作品を通じて、 多くの力士が確固たる地位を確立したことにより、 現在まで親方として高い人気と実力を持った力士が生まれた。 一方、声優人気が過剰となったため、 宮村優子、小西寛子関の大関経験者の引退や また横綱・林原の結婚発表による引退が物議を呼び、 開催も一時危ぶまれるほどの加熱ぶりを見せた。 そうした中、声優相撲協会は新時代へと対応するため、 30年理事長職を務めてきた加藤みどりが勇退し、 2代目理事長として野沢雅子が就任した。 ** 2000年代前半 2000年、新鋭が現れる。当時新関脇だった「&bold(){堀江由衣}」である。 林原引退後となる2000年初場所から連続優勝で大関となると、 横綱空位の中、無類の強さを誇り、史上初の「&bold(){6連覇}」を達成。 「&bold(){堀江時代}」の到来を告げた。 2001年からは先のブームを受け「&bold(){年6場所}」とし、 本家大相撲と同じ開催規定となった。 2001年に大関となった「田村ゆかり」と共に、 「&bold(){やまとなでしこ}」で一時代を築き、 横綱・堀江由衣は2年半に渡り「一人横綱」を守った。 一方で、2001~02年までの12場所中、 平幕優勝3回、三役優勝3回と波乱の場所が続き、 横綱・大関陣がなかなか優勝できない事態が続いた。 2003年に折笠富美子が横綱となり、2人横綱体勢が04年まで続く。 ** 2000年代後半 2005年には1年で3人が大関から横綱に昇進し、 「&bold(){第1次5横綱時代}」を迎える。その5人とは以下の横綱である、 堀江由衣、折笠富美子、川上とも子、能登麻美子、川澄綾子。 5横綱と、大関・水樹奈々の体勢の中、 2006年からは現行制度での得点制度で集計を始めている。 (幕内力士42人の枚目を決めているのは2006年から) その時期ごと、クールごと、場所ごとに活躍する力士が 変わり、安定して優勝することが難しくなったことで、 横綱が増加する一方、大関を保つことが容易で無くなった。 これは、00年代後半に掛けて、放送されるアニメ作品が 急増したことが大きな要因であると考えられる。 一方で、「&bold(){電車男}」などを通じて、「オタク」「秋葉原」の 文化が広く親しまれ、声優相撲の一般化が進んだ。 2005年「魔法先生ネギま!」、 2006年「涼宮ハルヒの憂鬱」、 2007年「らき☆すた」、 2008年「マクロスF」、 2009年「けいおん!」 とアニメソングを含めて、 広く親しまれたアニメ作品も登場し、劇的にファン層が広がった。 声優の歌手活動、アイドル化も再度加速し、 大関から陥落したものの、2009年には水樹奈々が 「NHK紅白歌合戦」に初出場、オリコンチャートの上位に アニメソング、声優ソングが次々とランクインするなどし、 「&bold(){第4次声優相撲ブーム}」が始まる素地が作られた。 ** 2010年代 2010年初場所から「&bold(){第2次5横綱時代}」が到来する。 堀江由衣、能登麻美子、川澄綾子に加えて、 伊藤静、沢城みゆき の5人が横綱となり、4場所続いた。 しかし、新鋭も台頭し、2000年代から綱を守ってきた 能登麻美子、川澄綾子の時津風勢が引退すると、 2011年九州場所で11年間綱を保った堀江由衣が引退した。 2010年代を代表する名横綱はやはり「&bold(){花澤香菜}」である。 川澄、能登という2横綱の下、急速に力を付け、 2010年から翌年に掛けて、史上2人目となる「&bold(){6連覇}」を達成。 初優勝から4年間で「16回」の優勝を飾り、 堀江由衣の記録を抜き、最多優勝回数を誇る、 「&bold(){花澤時代}」を築き上げた。 また、2012年一年間は新興勢力である 朝日山部屋(ミュージックレイン)に所属する2大関、 戸松遥と豊崎愛生が横綱・花澤と激戦を繰り広げた。 なお、2012年夏に「声優相撲」を企画立案したため、 2012年秋場所以降はすべて&u(){「リアルタイム」} での結果発表となっている。(ここまでは後から集計) 2013年に豊崎が大関陥落した一方で、花澤時代も一段落し、 日笠陽子、茅野愛衣が続けて大関に昇進し、 茅野愛衣は2014年に横綱に昇進、「&bold(){3横綱時代}」となった。 2010年代に入り、「第4次声優相撲ブーム」が加熱した。 水樹奈々を筆頭に「声優」という職業の知名度が 一般層に広く浸透したことが大きな要因と思われる。 また中高生以降でテレビアニメを見ることへの抵抗が弱まり、 「趣味」の一環として声優、アニメを楽しむ人間が 増えたことも大きな要因であると思われる。 こうした流れの中、声優にあこがれて、 「声優」を目指す学生が急増しており、 声優力士養成所、声優相撲部屋への入門の競争率が 非常に高まっており、&bold(){狭き門}となっている。 加えてアニメ作品は増加しているものの、 出演できる声優力士は上位の一部に限定されやすい傾向にあり、 かつ次々と実力、人気の高い新人がデビューしているため、 &u(){「声優相撲力士の寿命が短くなっている」 「声優相撲力士の回転率が早まっている」}という傾向が強まり、 長期間に渡る活躍が難しくなっている。 多くの才能ある人材が声優相撲の世界に現れ、 幅広く層の厚い声優相撲が展開されている点は歓迎すべきである。 しかし、上記のような構造的な問題が顕在化しており、 声優相撲協会、声優相撲力士全体で取り組んで行かねばならない。 「声優相撲」は、50年近い歴史の流れの中で現在がある。 これからも、アニメがある限り、声優という職業がある限り、 声優相撲は続いていくと信じて。 ** 補足 「声優相撲」は、2012年夏に企画し、秋に掛けて制度を確立しました。 1963年から番付を決める作業は2013年まで掛かりました。 50年の膨大なデータは、過去放送された数千のアニメ作品の キャストを手作業で集め、それを元に「得点」を集計。 それをもとに勝敗を決め、番付を決め、推移させてきました。 (「声優」も「相撲」も、この企画を通じて詳しくなりました。  今では大事な趣味の一環です。) 例えば2000年以降など時代を区切らず、アニメ放送開始の 1963年から番付を付けた理由ですが。 ・本家「大相撲」も300年以上の歴史の中で現在がある点 ・親方衆を決める上で、過去の流れを知ることが必要だった点  などが挙げられます。 まあ、「やるからには」「全部やろう!」という 情熱に突き動かされたからだと思いますww 2012年以前は、後から「リアリティ」を持たせつつ、 後付けで作ったものであるため、 細かく決めていない部分が多々あります。ご了承下さい。 では、声優相撲50年の歴史(実質数年間ですがww)を ご堪能下さい。 2015年5月30日 私益財団法人 声優相撲協会 会長 y=Rx

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