「その……ごめんなさい」
「え、どうして」
断って、追い縋ろうとする相手の言葉を聞かずに走り去る。
何度目だろうか、こんな風に告白されたのは。
何度目だろうか、相手を待たせて、期待させてから切り捨てるのは。
申し訳なくて振り返ることなんてできやしない。
ああ、なんて私は嫌な女なんだろう。
こんな酷い性格だから、きっと誰にも愛してもらえない。
そう、本当に好きな人にもきっと……
J「あーもう離れろよ暑苦しい」
銀「いいじゃなぁい。誰も見てないわぁ」
翠「ここで見てるです!!とっとと離れやがれですぅ!!」
蒼「少し落ち着きなよ……とか言いつつ手を握ってみるテスト」
紅「貴方も落ち着きなさい蒼星石……私の下僕に手を出さないで頂戴」
遠くに見えるのは、桜田ジュンとその取り巻きたち。
何れ劣らぬ美少女たちに囲まれ、やぶさかではなさそうに見える。
――心が痛む。もう見慣れているというのに、やはり辛い。
駆け足で、見つからないように家へ帰る。普段通りの笑顔を作らなければならない。
私は、笑わなければいけない。
の「ねぇジュン君。ジュン君は誰が好きなの?」
J「なんだよ急に……どういう風の吹き回しだ」
食後の軽い会話。にこにこしながらのりが話しかけてくる。
の「あれだけ可愛い女の子たちに囲まれてるんだもの。誰?」
J「誰って……そんなこと考えたことないよ。皆大事な友達だ」
の「えー?皆はそうは思ってないのに?」
J「あーもう鬱陶しい!!関係ないだろ!!もう部屋帰る」
の「あーん、ごめんなさいジュン君~。お姉ちゃんが悪かったわ~」
半泣きで謝ってくるのりを無視して部屋へと帰り、鍵をかける。
扉を叩きながら謝る姿は、本当に昔から変わらない子どものままだ。
の「……本当に。どうするかは早く決めないとね」
J「え?」
急に、のりの口調が変わった。
J「姉ちゃん?」
鍵を開けて外を確認する。もうそこにのりの姿はなかった。
パリン。
「あ……またやっちゃった」
これで3枚目。こんなに皿を割ることなんて普段はまずない。
「何やってるんだろう、私」
本当に何をやっているのだろうか。ロクな考えが浮かばない。
無駄で思考が埋め尽くされる。否、単なる無駄じゃあない。
これ以上ないほどに大切で、ありえない、無意味な無駄だ。
「なんであんなこと言っちゃったかな……」
何を言ったのだろうか。何を言おうとしていたのだろうか。
やめよう。意味がない。実を結ぶことなど許されないのだから。
「あー、痛いなあ」
笑おう。もう笑うしかない。笑って笑って笑って、心を消そう。
駄目な自分。醜い自分。こんな自分が嫌いで仕方ない。
それでも、彼の前でだけは優しい自分でいたい。
「あはは……もう、ヤダよ」
少女たちに囲まれて帰る中、少しだけ昨日のことを考える。
あんな姉の姿を見るのは覚えている限りでははじめてだった。
桜田のりは、いつも笑っていて、たまに泣いて、謝って。
僕が馬鹿をやったら怒ってくれて、また泣いて。
思えばあれだけ助けられてきた。ずっとずっと。
今こんなふうにいられるのは誰のおかげだろう。
考えるまでもない。
J「なあ、真紅」
紅「何かしら、ジュン」
J「昔の僕って、のりに対してどうだったかな」
紅「酷かったわ。人として終わってたわね」
J「そうですか……聞いた僕が馬鹿でした」
紅「ええ、そうね。しっかりと彼女に感謝するべきだわ」
ああ、それはきっと恥ずかしいけれど。喜んでくれるだろう。
家に帰って、ご飯を一緒に食べて、「ありがとう」と言おう。
相変わらずの喧騒の中、今日の彼は少し元気がなさそうに見えた。
自分のせいでもないだろうに、そんな姿を見ていると哀しくなる。
支えて、助けてあげたいと思うのに、私はそこにはいられない。
遠くからひっそりと、こんな風に見ているだけ。
こんな風に、嫉妬に満ちた醜い感情を抑え付けているだけ。
自己嫌悪に吐き気がする。こんな姿で近くにいけない。
日を追うごとに痛みが増していく。想いが増していく。
笑え、笑え、笑え。穢い自分に蓋をしろ。
辛いだなんて思ってはいけない。当然を当然として受け止めろ。
迷惑だけはかけたくないから、自分自身なんて押しつぶしてしまえばいい。
そうだ――潰れて、消えてしまえばいい。
の「どう~美味しい?」
心底嬉しそうに、僕が食べるのを見ているのり。
少々気恥ずかしい。適当に返事をしながら食べる。
たぶん美味しいとは思うが、味なんてロクにわかりやしない。
さっさと食べ終わる。ほとんど食べた気はしない。
の「ひょっとして、美味しくなかった?」
J「い、いやそうじゃない……」
不安そうな表情で無邪気に覗き込んでくるのも、昔から変わらない。
何度この笑顔に救われて来たのだろう。何度この笑顔を哀しみに染めてしまったのだろう。
J「ね、姉ちゃん」
の「どうしたの、急に改まって」
J「そ、その……今まで本当にありがとう。こ、これからもよろしく」
これは予想以上に恥ずかしい。というか、急にこんなこと言うか普通。
リアクションが気になって、のりの表情をちらりと見る……
J「ね、姉ちゃん?」
そこにあったのは、酷く、辛そうな、泣き顔に見えた。
の「あ、ごめ、ごめんね。急だったからちょっと驚いて」
J「あ、そ、そうだよな。変な事言ってごめん」
の「い、いいのよ~。じゃあ、お、お風呂さっさと入ってきてね」
いつもと変わらない笑顔を見せながら、部屋へと走っていくのり。
変わらないのに、変わらないはずなのに、ぎこちない笑顔だった。
熱いシャワーを頭から被っていても、その言葉が消えない。
際限なく押し寄せてくる、本音と建前、自分を責め立てる自分。
わけがわからない。どうにかしてしまったのかもしれない。
……違う。最初から、気持ちに気付いてしまったときからどうにかしていた。
どうにかしている壊れた自分はもう直らない。誤魔化しながら生きるだけ。
「あは、あはははははは」
泣きそうなのに笑っている。
「あはは、あはははははは」
まだ、笑えている。まだ、きっと大丈夫。
シャワーを止めて、体を拭いて、鏡を見てしまった。
「あ、はは……は……」
どんな顔をしているのか、見えてしまった。
もう、笑えない。
なんだったのだろうか、あの表情は。
電気を消して、布団に入っていても眠気が訪れない。
頭から辛そうなのりの表情が離れない。
J「なんだよ……僕なんかに感謝されても嬉しくなかったのか」
わからない。わからないから、もう寝てしまおう。
布団を頭から被って、もう何も考えないようにしようとしたとき。
扉の軋んで開く音。
の「ジュン君……起きてる?」
のりの声。咄嗟に寝た振りをする。
近づいてくるのが気配でわかった。何故、ここにのりが?
の「ごめんね、ジュン君」
何を謝るのだろう。何故謝られるのだろう。何故辛そうなのだろう。
寝たフリをしたまま、必死に考える。
考えていたのに――意識が散った。
なに?
僕の背中に、湿った温かい体が密着している。
のりの腕が、僕の体を抱き締めている。
の「起きてるよね、ジュン君。ごめんね」
J「ね、姉ちゃん?」
の「ごめんね、こんなお姉ちゃんでごめんね」
J「な、何言ってるんだよ。どうしたんだよ」
の「お姉ちゃんね、ジュン君のこと好きなの」
――今、何を言った?
の「いつからかわからないけどね、ずっと好きだったの」
語りだすのりに、僕が何を言えるだろうか。
の「ジュン君が他の子と一緒にいると、辛かったの」
こんなに、辛そうな声で。どうして言うのだろうか。
の「嫉妬してたけど、何も言えなかったの、お姉ちゃんだから」
……
の「お姉ちゃんなのに、弟が好きなの。変だよね、気持ち悪いよね」
J「そ、そんなこと……ない」
の「ずっと我慢してたんだけど。本当に、言わないつもりだったんだけど」
の「もうね、無理だったの」
背中にのりの顔が押し付けられている。
泣いている。彼女は泣いている。涙も流さずに。
の「わかってるから。迷惑だってわかってるから」
J「姉ちゃん、僕は……」
の「お姉ちゃんって言わないで……今日だけだから」
J「……のり」
の「今日だけだから、これっきりだから……」
何かが壊れていく。何かが終わってしまう。
の「だから今日だけ……何もしないから、こうさせていて」
桜田のりは、こんなにも何も望んでいない。
この人の頭の中には、僕と一緒に並んでいる未来なんてないのだろう。
だから今晩だけ、こうして僕のことを抱き締めて眠るだけ。
僕が応えてあげられないのも理解して、こうするだけ。
泣きそうになった。こんなにも愛されているなんて、気付かなかった。
でも、気付かなければ、彼女だけ苦しめて僕は幸せに生きていけたんだ。
――虫唾が走る。そんなことの、何が幸せか。
J「のり。……おやすみ」
他に言葉は思い浮かばなかった。ただ、それだけ。
のりの体に包まれて、僕はひどく安心しながら眠った。
目覚める。隣にのりの姿は、もうない。
夢なんかじゃあ絶対にない。あの暖かさは、嘘なんかじゃない。
でも、何をするべきかはわかっている。制服に着替えて、下に降りる。
食卓に並ぶトーストにサラダ、目玉焼き。
いつもと変わらない、桜田家の朝食。
の「おはよう、ジュン君」
笑うのり。笑顔の素敵な、僕のお姉ちゃん。
J「うん、おはよう。姉ちゃん」
何かが変わってしまった。何かが終わってしまった。
それでも僕の人生は終わらない。僕たちの生活は変えられない。
自分を押し殺して彼女が選んだ、こんなにも大切な日常。
僕の幸せだけを願って、僕の重荷にならないように独りで泣いた姉。
引き篭もって一人で腐っていた自分を、必死で助けてくれた姉。
もう、戻らない。幸せになろう。誰よりも幸せになろう。
見ているだけで幸せになってくれるような、そんな人間になろう。
それで、幸せになれたら――お姉ちゃんにもう一度、「ありがとう」を言おう。
「いってきます、姉ちゃん」
「いってらっしゃい、ジュン君」
二人とも笑顔のままで、玄関先、別れた。
END