古参の扱い


前章にて感動的な古参の話をしたばかりだが、
古参が現代喧嘩師全員に友好的に迎え入れられているわけでもない。

喧嘩界には年功序列の風習が根付いているのか、
「古参であることは一種のステータスだ」という風に捉えられている場合が多い。
Selciaとゲシュタルト崩壊で言えば、彼らの実力の高さは勿論のこと、瓦解したとはいえ、かの「毒殺天国」、
そして「平成喧嘩塾」の中核を担っていたことによる影響力は、非常に大きいだろう。
加えて、普通に活動している古参であれば、必然的に「知名度」は高まり、「人脈」の幅が広がる。
長年在籍することにより積み重なる「経験」、喧嘩だけに留まらない、様々な「ノウハウ」の収得。
「古参である」という土台のみならず、喧嘩師としての、単純な「強さ」だけでない、
「総合的な力量」が高まることによって、喧嘩サイトでの必要性・貴重性は増し、
「管理サイド」へと仲間入りする確率は高くなる。

また、喧嘩界とは「コネクション」が強く物を言う世界でもある。
古参同士の結びつきは固く、現代喧嘩界において圧倒的な権力を有しているのは彼らであり、
そうした背景を理由に、喧嘩界を影から牛耳る古参連中を

「上層部」

と謎めかして表現することもある。
情けない火山では平成喧嘩塾の管理サイドを「上層部」や「幹部連」などと表現しているが、
喧嘩界の最大手たる喧嘩塾の上層部は、イコール喧嘩界の上層部と置き換えられるだろう。
しかし上層部の実態には謎が多く、いつどこでどのように活動しているのかは、全くの未知数である。

そのようなまぁ色々複雑で壮大な事情により、一部の喧嘩師たちにとって、古参とは目障りな存在であるようだ。
情けない火山におけるいくつかの記述が、また反古参派の反骨精神を煽ることになっているのかもしれないが、
個人的に「新参と古参の確執」はとても興味深いし、不満が蓄積していつか下剋上でも起きねーかなー、とか思ったりもする。
何分暇なもんで。

因みに、このことはHKJのどっかのスレでも提言されていた気がするので、気が向いたら探してみるといいだろう。
最終更新:2011年08月02日 01:47