喧嘩史について


1、喧嘩史とは


"喧嘩"という行為、"喧嘩師"という人種、"喧嘩サイト"という空間。
喧嘩にその身を投じている人間の間では当たり前のように使われる言葉だが、
これらが今日このように形を成すまでの過程とは、一体どのようなものだったのであろうか。
その起源とは、果たしてどこに在ったのであろうか。

情けない火山では、"喧嘩"という概念が確立し、
後に"喧嘩界"として一つの世界が形成され、今日に至るまでの流れを、
大仰ながらも「喧嘩史」と表現している。

現存する史料などから、"喧嘩"という概念には最低でも10年以上の歴史があることが分かっている。
"喧嘩界"が確固とした形を成してからは、およそ8年以上であろうか。
ここではまず、その歴史全体の流れを大まかに語る概説史としての文章を綴っていき、
合間を補足する形で、筆者が書ける範囲での詳説を述べていきたい。

2、時代区分について


筆者は、10年の歴史の中で特に象徴的な事象を抜き出し、
そこを節目として、喧嘩史を四つの時代に区分している。

"喧嘩"というジャンルの始まり、草創期である「古代」。
"喧嘩""喧嘩師""喧嘩サイト"という根本概念が確立し、
毒殺天国の誕生を経て、それぞれのサイトが勃興期に突入、
すべての勢力を巻き込み喧嘩界全体が隆盛を極めた「中世」。
中世の終焉後、平成喧嘩塾の登場を筆頭に新たな勢力図が形成された、現代の礎たる「近代(新時代)」。
そして、それら全てを経たのち、停滞期から衰退期に入っている今日、「現代」である。
次々章から各時代について紹介するので、喧嘩界の歴史を知る上での参考にでもしていただけると幸いである。

3、「喧嘩」の定義とは


さて、話題が変わるが、喧嘩史を語る前に、そもそも「喧嘩の定義とは?」という小難しい問題が出てくる。
これは、喧嘩史どころか、喧嘩に関連するすべての事象を語る上で考えなければならないものだ。
喧嘩の定義付けがしっかりと為されなければ、究めるもへったくれもない。
冒頭、「現在の喧嘩とほとんど変わらないスタイル」とは述べたものの、
「喧嘩」の確固とした定義は未だ確立されておらず、個々人それぞれの認識に任されているのが現状である。
そもそも「喧嘩界」という枠組み時代が非常にあやふやなもので、纏まりがない。
これについても飽くまで、個々人それぞれの線引きに依る。
喧嘩師の定義についても未だ議論は絶えず(多分)、もう面倒臭いったらありゃしない状況なのだ。
この「喧嘩とは何か」という哲学的疑問は、常に喧嘩師の傍に潜む、永遠の命題なのである。
しかし筆者的には浪漫の欠片もない面倒くさいだけの哲学的な汚物なのだ。うんこである。なのでさくっと定義する。
まあ、大多数の認識として、
「喧嘩っちゅーのは二人以上の人物で口論することだろ」
というのはあると思う。最も分かりやすいのは罵倒の応酬であろう。
現在一般に行われている喧嘩は、それを交えながら、
相手の発言の矛盾を突くなどして、論証を不可能にする=論破する、というものである。
罵倒を一切含まない討論などの扱いが難しいが、そこらへんを考えるとまた面倒臭いので
「喧嘩サイトにおける一切の意見のぶつかり合い」を喧嘩と呼ぶことにする、
と俺は今決めたのである。
こんな幸先不安なノリで話を続ける。

4、筆者の歴史観


喧嘩史を語る上で、もう一つ確認しておかなければならないことがある。筆者の歴史観について、である。
「喧嘩界」(これについては後に詳しく語る)という言葉が、喧嘩サイトを包括した言葉であるというのは
ある程度共通する認識であろうが、いかんせん喧嘩サイトの数自体は明確になっておらず、
先述した通りその枠組みというのもひどく曖昧である。
現代に生きる喧嘩師たちは、大体が毒殺天国や平成喧嘩塾が中心となった時代をルーツに持っているとは思うが、
それらとは無縁の喧嘩サイトも多数存在するだろう。
最近になって交流が深まってはいるものの、まったく異質の喧嘩観・文化を形成している携帯サイトなどが、まさしくそうである。
当たり前のことではあるが、毒殺天国・平成喧嘩塾といった諸文明は、ネット上に数多ある喧嘩サイトのうちの一つに過ぎないのだ。
しかしながら、自分が確認したもの以外の存在は知りようがない。
調べれば分かるかもしれないが、そんな選択肢は存在しない。面倒臭い。
つまり、筆者の歴史観は、言わば不可抗力的な「毒殺・喧嘩塾中心主義」に基づく歴史観なのである。
(他サイトに比べてこれら二つが特別優れている、というヨーロッパ中心主義的な見方がある程度混じっているのも否めない)
のちの章において、必然的に「毒殺・喧嘩塾を中心として歴史を綴らざるを得ない」ということを、あらかじめ知っておいてほしい。
だって楽だし。

念を押して、当たり前のことではあるが、喧嘩史についての見解は、飽くまで筆者個人の目線から見て考えたものである。
資料不足は勿論のこと、昔からいるとはいえ、筆者が各事情を網羅しているというわけでは決してない。
実際の史実とは異なる部分もあるであろうし、各項の考察には筆者の推測や想像が少なからず含まれているということを、
予め閲覧される皆様にご承知いただきたい。
最終更新:2015年09月24日 13:33