オフ会って…


喧嘩師同士のオフ会と言えば、余り良くないイメージを抱く人もいるかもしれない。
確かに、喧嘩師と言えば縄張り争いから集団リンチまで、WWW上に堂々と事務所を構えるヤクザであるのだが
(最近ではその面影すら薄くスポーツマンに成り下がった様にも感じる)…
意外にも電話やメール等のやり取りから、相手の住所宛てに(固定HN)様と添えて年賀状を送る等、
余り差し支えのないようなやり取りならそれまでに幾つもされて来た模様である。
しかし面と向かって会うとなると喧嘩師はどうなるのか…ニートから学生、医者、はたまたヤクザにまで及ぶ喧嘩師達であるが、
ここでは彼ら(主に毒殺天国・喧嘩塾周辺)の実態について少しだけ、触れてみようと思う。


2005年夏―まだ毒殺天国が存在していた頃の話である。
当時中学三年生であった管理人、砂漠地帯と中層喧嘩師の絶がメッセでオフを企てた。
確認できる限りでは、毒殺天国周辺の喧嘩師同士のオフ会はこれが始めてであった。
当初はそれに同じく中層喧嘩師の魏燕、平和主義者兼チャッターの的当も入れる予定だったのだが、それは見事に二人の妄想に留まった。
地理的にも埼玉と東京と比較的近い場所に在住していた両者は、厨房らしく夏休みを利用して丁度中間地点の池袋にて会ったとの事。
しかし、やはり喧嘩師と言えども両者中学三年生、初対面の相手と二人きりという、その場に流れる気まずい空気は両者どうにもできなかったようだ。
近場のゲームセンターにて徐々に打ち解けていく二人だが、財布の中も行く場所の宛ても皆無に等しく、
カラオケに行くつもりが急遽予定変更で砂漠地帯の家へ行く事に。
絶の方はというと砂漠地帯の家にあるであろうエロ本を探る事に躍起になっていたのだが結局見つからず、
そのまま親父さんが作ってくれた夕食を共に済ませその日は終わったんだそうな。
それからこの両者はリアルでも接近するようになり、それがこの後に続くオフ会にも関係してくるようになる、かもしれない。多分関係ない。


2006年夏―毒殺天国に変わり平成喧嘩塾が全盛期を収めていた時代である。


2007年夏―一日のアクセス数が喧嘩塾を抜く等キチガイ電波局がその頭角を表して来た時代である。


(この項目「オフ会って…」は、調べものの参考にはなる可能性がありますが、
まだ書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。)
最終更新:2011年08月13日 03:06