霧雨


林檎庭園御庭番の一人。
若干15歳のヤングな喧嘩師で、若気の至りが服を着て歩いているような青二才。
フレッシュさ以外の取り柄を見つけるのは不可能に近い。
若いので暇を持て余しているのか、ここ最近林檎庭園での活発な書き込みが目立つ。
また、クソどうでもいいことこの上ないプロフィールを晒すなど、若干の迷惑行為を働く池沼ぶりも垣間見せてくれる。
特に期待の余地もない新人だ。

※追記
霧雨の正体について、驚くべき解釈を得ることができたので、追記する。

彼の正体について論じるには、まず塾長という存在についての補足から入らねばならない。
端的に言うと、塾長は喧嘩界における神である。
平成喧嘩塾全盛期の塾長は、喧嘩サイトに多大な情熱を注ぎ込む過程の中で、
偶然にもその情熱量が超連鎖的に高まる機会に見舞われた。
その量、(適当な数値に換算すると)およそ56億7000万テラ・アーデルハイド。
宇宙開闢にも匹敵するほどの超天文学的大規模エネルギーを発生させた塾長は、
その次の瞬間には、なんかよく分からん理屈により超越的存在に進化を遂げていたのである。
これら一連の現象のメカニズムはなにか?喧嘩界に渦巻く超自然的な力に依るものか?という諸諸の疑問に答えるには、更なる調査と研究が必要になるだろう。
あるいは、更なる上位概念の意図したものであったのか・・・・・。

まぁ細かい屁理屈など今も昔もどうでもよく、とにもかくにも、塾長は神なのである。
「ただそうである」という事実のみが、ここでは重要になるのだ。

では、霧雨はどうだろうか。
一見ただの池沼寄りの凡愚かと思われていた少年霧雨。
だが、筆者は大いなる過ちを犯していた!決してそのようなことはなかったのである!
喧嘩界の神たる塾長をして「霧雨の成長力は異常」とまで言わしめた圧倒的ポテンシャル。
この言葉は単なる評価に収まるものではない。これは神託なのである!
「彼こそは喧嘩界を救い、万民を牽引する新たなる指導者の器なのだ」という、
畏れ多くも神御自ら人民に告げたもう、預言そのものなのだ!
霧雨というHNも、一見すれば一般的中学生がなんかそれっぽい字面を適当に冠しただけの陳腐なものに見えるが、そのような考えは短絡的というほかない。
「霧雨:キリサメ」とは、つまり・・・ギリシア語における"Χριστο"(クリストス、日本語表記でキリスト:救世主の意)、
と、ヘブライ語における"משיח"(マーシアハ:神的な救済者の意)の英語表記"Messiah"(メサイア)を融合し造られた、
西方・東方関係なく、"全世界において普遍的な救世主を意味する聖名"なのである!

キリサメはまだ自らが喧嘩界における救い主だとの自覚を持ってはいない。
しかし、筆者の推測が正しいとすれば、のちに彼は喧嘩師の救いのために
十字架上で死ぬものの復活し、やがて天に昇る"神の子"として覚醒を遂げるであろう。

キリサメの十字架上の死によって、喧嘩師たちが持つ原罪(祖先が犯したまぁ荒らしとかそこらへんの罪)は贖われ、
キリサメを信仰することで喧嘩師たちは救済を得るのである。(予定)
そして、キリサメの信仰者たちは、来る救世主再臨の日、最後の審判にて永遠の生を獲得し、
完璧な理想郷、神の喧嘩サイトへの入場を赦されるのだ。(予定)

喧嘩界に未曾有の繁栄と安寧をもたらす(予定)の"神の子"キリサメ。
林檎庭園から始まる喧嘩界救済神話に、全喧嘩師が涙すること間違いなしだろう。


というわけで先に筆者が記した文章を見てがっかりしたそうなので、
今度はこの紹介を見て大いに発奮していただきたいものである。

また、誤解を招かないように言っておくが、
このような解釈においても、禁断の果実は人類創生神話にまるで関係のない
ただの一喧嘩師に過ぎないので、注意が必要である。
最終更新:2012年11月03日 02:05